少しの間留守になりますが・・・。
明日から、関西に帰省し、土日は神戸でアニマル・コミュニケーション、
ソウル・コミュニケーションの
出張個別カウンセリングを行なってきます。
仕事で帰るのですが、今回はいくつか大事な用事もありまして、
1週間ほどは滞在することになりそうです。
関東で、ご予約・フラワーレメディの処方をお待ちの方には、
ご迷惑をおかけ致し、申し訳ございません。
何卒、ご理解のほど、宜しくお願い申し上げます。

今回の神戸では、6組のご家族とのご対面となります。
キャンセル待ちをして下さった皆様は、お申込者様ご家族様の数を
超えていらっしゃいました。お待ち頂きました皆様にも、
心よりお詫びと御礼を申し上げます。
次回以降の予定も、決まり次第、ホームページや、
ホームページから登録できる、メールマガジンでお知らせしていきますので、
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

ブログ再開は4月以降となります。
ブログのインド研修レポート2も、いよいよ後半戦です。
長い間かかってしまっておりますが、
本人の私が咀嚼をしながらの、ご報告となっておりますので、
ご不便をおかけしておりますが、こちらのほうも引き続き、
ご愛読をよろしくお願い申し上げます。

(ここのところ、コメントにブラックリストに載せてしまいたくなるようなサイトや
管理者からの書き込みやトラックバックが残されることが増えましたので、
いったん、コメントとトラックバックについて、受付をクローズさせて頂きます。
本当に申し訳ございません。
一部の方々があちこちのブログにランダムに送信されているのだと思いますが、
このような書き込みを削除する時間も無駄になりますので、
純粋に、このブログに遊びに来て下さっている方々が、
逆にコメントしづらい状況になってしまっているのではないかと、
私のほうも心苦しい思いでおります。そういう事由もありまして、
このブログのご感想やご質問などは、私たちのH.Pをご存知の方のみ入れる、
メールアドレスのほうへお願いできれば幸いです。
ご面倒をおかけ致しますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。)
【2008/03/25 14:37】 | 未分類 |
インド研修パート2 (35) 〜「集中」のもう1つの意味〜
ブログをご無沙汰していて申し訳ございません。
ここ1か月、申告やら、メルマガの発行やら、いろいろとやることがあって、
こちらのほうがご無沙汰になっていました。
おかげで、不要な書き込みがあったりで、
せっかく訪問して下さったみなさまに、不快な思いをさせてしまったかもしれません。
心よりお詫び申し上げます。

下記より研修体験記の続きとなります。

11月9日はディバリー祭の日でした。
ディバリーとは、光を意味する言葉で、
この日は、「光が闇に打ち勝ち、支配した歓喜の日」
なのだそうです。

以下のお話はインド人女性ガイドP氏からです。

「インドには子供がみんな知っている神話があります。
子供が食べ物を食べたがらないときのものです。
ビクラマという王の神話で、『ガウル』というお化けの物語です。

人々はガウルに悩まされ、王ビクラマのもとに、退治の要請が
きました。ビクラマは森に入り、ガウルを捕えにいきました。
ガウルはほどなくつかまりましたが、ガウルは王に向かって
こう言いました。

『王様、あなたはとても賢く知恵もあり、史上最高の王です。』
と褒めた後、続けてこう言いました。
『これからあなたは、私の話をお聞きになって、正しいと思う
判断をして下さい。これから私が話をしますが、それに対して
あなたが口を閉じたままでいると、頭が100個に割れてしまいます。
そしてあなたが私の話に対し、口を開くと私は逃げてしまいます。
よろしいでしょうか?
ここで、ガウルの挑戦を断ったら、勇気がないと思われるかもしれない・・・
王は、ガウルの誘いに同意することにしました。

ガウルは王様に話をしながら、『話で同意するか否か考えて下さい。』
と言われ、ビクラマは頭が100個に割れてしまうことを恐れて、
自分の考えをガウルに話しました。ガウルは喜んで逃げていきました。
それが何百日と繰り返されました。

最後にガウルが質問をしたとき、王は沈黙を保ちました。
そして静かに微笑んでいました。
ガウルは慌てて言いました。
「どうしたのですか?早く返事をして下さい。
あなたの頭がどうなっても知りませんよ・・・」と。
けれども王は一切返事をしませんでした。
その後、ガウルは見事につかまってしまったのです。
もちろん、王の頭が100個に割れてしまうことはありませんでした。

そのとき王は完全に話したいという欲求も、
頭が割れてしまうかもしれないという恐怖も、
克服していました。

ここで言う、ガウルとはマインドのことです。
マインドは常にジャッジを求めているからです。
マインドはストーリーを語り、その中でジャッジを
委ねてくるからです。
外側に何かが起こるとマインドは解釈を加え、
自分の都合のいいように訳し、展開します。
誰かがあなたに何かをしても、しなくても、
あなたの中にストーリーを作ってしまうのです。

誰かが悲しい話をしたとします。
それであなたは、自分と比べて『自分もそのように
なったらどうしよう・・・』白昼夢を展開します。
それがマインドであり、ガウルです。

集中とは、1つのことにのみ心を向けることでもありますが、
今日説明する集中は少し意味が違います。

もう1つの「集中」とは、心理的活動に気付くことです。
いろいろと心が動きだしていることに気付き、
その動きをとらえてみること・・・これが集中です。
そのように、あなたのマインドの動きをあなたが、
気付いて、とらえ、観察ができなければ、
マインドはあなたを支配していきます。

王様は最初、ガウルが仕掛けたゲームに気付かなかった
ので、お化けとゲームを続けていたのです。
けれども、最後に王様は、ガウルと戦っているのではなく、
自分の恐れやジャッジや先入観などが、
戦いのゲームを作り上げてしまっていたことに
気付いたのです。」

**********************************
理恵子から

誰かに何かを言われたとき、何かを問われたとき、
私たちはなにげなく会話をし、その場を過ごしています。
けれども実際には、会話が終わってから、
「もっとこう言えばよかったかな・・・?」
「なんだか・・・不機嫌じゃなかった?私の言い方が
まずかったかな・・・。」
「なんで、そんなこと聞いたんだろう?
何か意図があるのかな?私を試してるのかな?」
「相変わらず、馬鹿な質問するよな・・・」
など、既にその会話が終了しているにもかかわらず、
自分や相手に対して、コメントが次々と浮かんできて、
マインドが働き続けているのです。

私も大学のとき、仏教系の大学だったので、
授業の前にメディテーション(瞑想)をすることが
よくあったのですが、そのときも
「Consentration!(集中しなさい!)」と
よく先生に言われました。
その頃の私は「集中」の意味を、
「何も考えず、ただ目の前のことだけを考えること」だと
だけ理解していまいた。
けれども、マインドが同居している限り、
全く何も考えずに時間を過ごすということは、
かなり修行を積んだとしても非常に難しいことなのです。

インドでは有名な話があります。
あるところに、いわゆる解脱を願って、修行を続けてきた人がいました。
その男性は、もう自分の命が長くないことを悟っていました。
「もう、この次元には生まれたくない。私はたくさん修行を重ね、
自分の意識を完全にコントロールできるようになった。
もちろん意識を無に集中することもできるようになった。
ああ、これからは光となって至福の世界から、
この三次元を見ることができるのだ・・・」
そう思っていました。
ところが・・・そんな男性にふと気のゆるみが出てしまいました。
目の前にハエが飛んできたのです。いつもなら、男性は見向きも
しないはずでした。ところが、もうすぐこの世界を離れて自分は
光の存在になれる・・・そう思った心に隙ができてしまったのです。
意識がハエに集中しました。「こんなところに飛んできて・・・
お前も不憫だなあ。早く人間になるといいな。」
そんなことを思ってしまったのです。

ほどなく男性は死を迎えました。
(ああ、これでもう二度と生まれ変わらなくていいんだ・・・)
男性はそう思ってしばらく眠ることにしました。
男性が気がついて、辺りを見回してみると、
なんだかみたことのある光景が広がっています。
(光の世界は本当に素晴らしいところだと聞いていたが、
なんだか自分たちのいたところとあまり変わらないみたいだな。)
そう思ったとき、大きな手が自分の前をぶんぶんと
振り払うように左右していきます。
「もう!まったく、しつこいハエだ!!」と大柄な男が、
手を振り回して自分を追いかけるではないですか!
「え?・・・どういうこと!?私は光になったのではなくて、ハエになって
しまったというのか・・・?」
男はあまりのことに言葉を失ってしまいました・・・。

・・・そうです。男性はハエに生まれ変わってしまったのです。
マインドが無に集中し、ふと無でなくなったとき、
彼のマインドの隙間に飛び込んだもの・・・それが唯一ハエだったので、
彼はハエと一体になってしまったのです。

このように、マインドの存在を否定的に捉えてしまうと、
抑えていたものが一挙に噴き出してしまうことがあります。
マインドだけではありません。
病気の際の対応も同じですし、
食に対してもそうだと思います。

精神世界を知った人たちの中でも、最初の段階では
ありがちなことで、私たちもそうした時期を経てきましたが・・・
心の奥深いところを知って、感じてしまうと、
なにもかも、この世の中が間違っている、
怖い世の中だと思ってしまいます。

結果、ごくごく大多数の考え方の人たちに、
「それは間違っているよ」と、相手の考え方を否定して、
変えさせようとしたり、厳格な食事をして、かえって体を壊してしまったり、
安全な衣食住や平安な心の状態を守ろうとして、借金まで作ってしまう
ことさえもありうるのです。
もちろん、食に関心を向け、エコを心掛け、
薬に頼らない体を作る・・・こうしたことは、
外側の活動としてとてもいいことだと思います。

ただ、何かに対して、右往左往している状態は、
たとえ食事を安全にしても、ナチュラル・ケアに変えてみたからといっても、
エコを意識して、活動をしていたとしても、
根っこの「揺れ動く自分」は、なにひとつ変わってはいないということなのです。

美しくない考えが浮かぶ自分、相手に嫉妬する自分、
怒って相手を恨む自分・・・たくさんのよくない考えが浮かんでは消え、
そのたびに、自分が揺れ動いてしまう・・・
そうした自分をまず受け入れ、そのうえで、
観察することで、克服していくためには方法はたった1つ
「Consentoration(集中)」しかないのです。

上記の修行者の方は「集中」と言いながら、「無の状態」に
囚われてしまっていました。
「こうあらねばいけない」と無意識にその状態を作り出そう、
作り出そうとした結果、思わぬ状況に飲み込まれてしまったという
ことのお話しです。

「無の状態」は、本当に集中できたときに、
結果的に経験できることであって、
その状態になろうとしてなれるものではないということなのです。

はたらき続けるマインドを否定せず、
否定的な考えが浮かぶ自分を否定せず、
自分の内側のConsentrationが定着してくるとき、
他者に対して、自然と否定的な考えも消滅していることに気付くでしょう。

私もここのところ瞑想はあまりしてはいないのですが、
たまにすると、心の内側がとてもクリアになります。
自分の内側を観察し、内側の聖なる存在との絆を深める意味での
瞑想はとても効果的だと思います。
そのときは、本当の意味でのConsentorationで、ぜひ行なってみて下さい。

【2008/03/17 13:54】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(10) |
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りえこ先生のブログ


プレマ動物ナチュラル・ケア・クリニックのりえこ先生のブログです。

プロフィール

プレマリエ

Author:プレマリエ
ホリスティック(ナチュラル)・ケア主体の動物クリニックを、獣医師の夫と共に営んでいます。私は動物の心・魂からのメッセージを、ご家族にカウンセリングを交えてお伝えする、アニマル・コミュニケーターをしています。また、2005年に南インドで研修を受け、魂の前進・解放を促すエネルギー・ワーク「ワンネス・ディクシャ」のインストラクターになり、セミナーも開催しています。人と動物の種別を超えた絆、人や動物たちが本当に幸せになるために、魂的な前進をしていくために、私たちが、どのように生きていくことを自覚していけばよいのかなども、お話ししていきます。どうぞよろしくお願いします。

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