ありのままでいいんだよ。
うちのクリニックに来てもらう子には必ず言っていることがあります。
実際に口にするときもあれば、気持ちで伝えることもありますが、それは「○○ちゃんは、○○ちゃんのまんまでいいんだよ。」ということです。これは私たちが息子に言っていることと同じ言葉です。(まあ、親として注意をしなくてはいけないところがあるので、多少まだ矛盾はあるのですが<苦笑>)

とかく私たちは「○○しなければいけない!」とそういう固定概念があるので、どうしても親は子供にも、保護者の方は共に暮らす動物たちにも、そのように接してしまう面があります。「お行儀良くしなさい」○○しちゃいけません!」「○○しなさい!!」など・・・。しかしながら多くは、子供も人と暮らす動物たちにも、最初に「あなたは、あなたのままでいいのよ。」という全面的な受容を受けないまま、しつけをされてしまっています。(動物たちの場合は、特にわんこちゃんたちがそうだと思います。)もちろん、私たち親世代も多くは、このように言われて育ってきたのではないでしょうか?

私たちが子供の頃、そのように言われて、あるいは対応をされて、どのような感情を抱いたでしょうか?「うるさいなあ・・・」「何度も何度も同じことを・・・」「なんでいつもお母さんは怒っているんだろう?」「うっとおしいよ・・・」と思いはしなかったでしょうか?それもそのはずです。私たちだって、たいてい親から一方的に決められた、決め事に従わなければならなかったからです。

何かの本で読みましたが、私たちは生まれてから成人するまでに、実に平均して19万5千回以上、否定的な言葉を親を中心とした身近な大人から言われて育っているそうです。「ダメでしょう!」「○○しちゃいけない!」「なんであなたはそうなの!?」「ちゃんと、○○しなきゃダメでしょう!」などなど・・・壊れたレコードのように私たちの脳とハートには、「自分はダメダメ人間なんだ」ということがインプットされてしまっています。もちろんその子の性格や質によって、そう言われて育って自虐的・否定的になる子もいれば、「くっそお!絶対に負けるもんか!」と頑張り抜く子もいるでしょう。しかしながら結果的に、後者の子であっても、私はカウンセリングをしてきて、犬の場合、それが他者への攻撃性となって出てしまっている子や、ある日突然のようにみえる保護者の方への攻撃性となって出てしまう子に出会っています。また、子供たちと接していても類似の傾向をみてきています。

要するに、気の弱い子は自信をなくし、気丈な子は、自分が傷つかないよう防御するために、他に(たいてい自分より弱いところへの)はけぐちをみつけるか、いつか絶対勢力への反逆を夢見るようになるということです。たしかにしつけやルールを教えることは大切なことでもありますが、その前に彼らは本当に「自身を受容されてみたされているのだろうか」ということをいつも心の片隅に忘れずにいて頂ければと思います。コンパニオン・アニマルの場合は特にそうだと思います。
彼らは実際に自分を生んでくれた母親の元を離れ、お家に来てくれたのだということです。一般的な飼育本には「まずはトイレのしつけ」「いけないときは現行犯で叱る」などは書いてありますが、「ありのまま、まず彼(彼女)のパーソナリティを知り、受け止めてあげること」がいかに重要なことかは書かれていないはずです。

人間の子供はトイレを覚えるまでに2,3年かかります。
歩けるようになるのに1年前後から1年半くらいを費やします。
離乳するまでも1年からその子によっては3,4年費やす子もいます。
それでも子供もやれ「トレーニング」といっては、早く、早くと赤ちゃんの頃から、成長を促されてしまいます。

一番やっかいなのは離乳です。
おっぱいは、栄養になるのは確かに人間の場合で1年未満までくらいです。犬猫の場合で4〜6週程度です。
しかしながらおっぱいは、それだけの役目ではないのです。
野良猫ちゃんをみているとよく分かります。6か月過ぎてもお母さんの
おっぱいにくっついている子もいます。

私も息子を2歳前まで、母乳で育てたということは、前にお話しましたが、多くの子供は離乳食と同時くらいにおっぱいをやめて、遅くとも10か月くらいには卒乳するというのが、一般のマニュアルになっています。けれども子供は基本的におっぱい好きなんです。それは本能的に、自分を丸ごと受け止めてくれる証であるという思いがあるからなんです。ですからなんらかの事情で人口乳になる場合でも、人の場合でも、動物の場合でも、与える人が抱っこをして、胸元で与えてあげると子供が安心しやすくなるというレポートもたくさん残されています。実際、こうした「受け止め」が十分で、子供本人がみたされて成長していった場合、実際その子は自分の内側の力や気持ちが安定し、うわべだけでなく、本心から自信をもつことが多いのです。もちろん、機械的に与えるのではなく、本心からいつくしんであげて、おっぱい、もしくはどうしても無理な場合、胸元で人口乳を与えるということが大切です。

では既に離乳してしまって、お家に来る子達に最初にどう接していけばよいのか・・・それは先ほども申し上げたように、いかにその子のパーソナリティを知り、全面的にそれをまず受け止めてあげられるかということだと思います。その子の性格を知ればおのずと接し方も分かってきます。残念なのは、子供の頃の性格が、なんらかの精神的な影響によって、抑えてしまう方向や自虐的に、あるいは逆に多虐的になってしまっているケースです。みなさんも経験されていることだと思いますが、自分のことで精神的にいっぱい、いっぱいの状況で、どうやって他者を心から受容していけるでしょうか?もし、やさしく、おとなしい、あるいは奉仕精神の旺盛な子なら、自分が我慢してでも、保護者の方、あるいは子供の場合、親の喜ぶ顔がみたいからと頑張るかもしれません。けれどもそれが、本当にその子のためになっているかどうかは、むしろ親や保護者の方が判断することではないのかもしれません。

ありのまんまでいいんだよ・・・なんてシンプルなことでしょう。でも、私たちは非常にそれを難しいことだと捉えています。
それは私たち保護者側、親側がまず、「ありのまんま、あなたのままでいいのよ」と言われてきていないことにあります。
表面的な協調性を教える前に、自分をありのまま受け入れていいのだということをまず私たちは教えていくべきだと思います。
しかしながら、私たち親、保護者が自分を「私は私のままでいいんだ・・・」と心から思えることが重要だと思います。

自分を全面的に自分自身でまず受容できると、まず変わることがあります。それはものすごく心が軽くなります。そして、身近な人の気持ちが
スーッと本当の意味で感じられやすくなり、その結果、他者に「この人が困っているのだから、やさしくしてあげなければ・・・」ではなくて「この人の力になってあげたい」と本能的に気持ちが動くということだと思います。

こうした心の内側の変革のサポートができるのが「ワンネス・ディクシャ」です。特に動物たちや子供たちは、ディクシャによる、変化が非常に早く訪れています。それだけ人間の大人は、「家のローンが・・・」「給料が・・・」「(自営の場合)売り上げが・・・」「出世したい」「ビジネスで成功したい」「きれいになりたい」「ダイエットが成功したい」「恋人が欲しい」「結婚したい」「もう、こんな相手とは離婚したい・・・けどできない・・・」「介護から解放されたい」「病気を治したい」「嫁姑問題から解放されたい」など、葛藤が山のようにあるものですが、子供たちや動物たちはそこまで様々な葛藤がないため、プロセスが早く進んで、日々1日1日を幸せに、感謝をしながら過ごせるようになるのだと思います。

「私は私のまんまでいい!」どんな嫌だなと思う自分でも、この三次元の世の中は全て陰と陽があるように、表裏一体の世界でもあります。嫌な自分だと思っている自分は、自分の中に自分が生まれる前から何千回、何百回と生まれ変わってくる中での記憶の一端に過ぎないということを覚えておいて頂ければと思います。嫌な自分を自分自身だと思い込むとつらいですが、何かの出来事によって、今の自分でない過去の自分のパーソナリティの一部が呼び出されてしまったんだと思うと、自分を責めることもなくなります。けれども、そうした嫌だと思うパーソナリティも、愛せる部分のパーソナリティも、全てあなたの中に入っている記憶と経験の中から、辞書のようにその場面、場面で引き出されいる情報であるということも記憶に留めておいて頂ければと思います。辞書は改定されていくこともよくあります。ですから私たちも潜在記憶にあるパーソナリティを「へえ・・・昔はこうだったんだ」と受け止められたら、新しく書き直しても、書き足しても構わないのだということなのです。ただどんな嫌な記憶や感情でも否定せず、受容的に受け止めるということです。(否定すると、その記憶は更になかったことにしようと、あなたの心の奥へ奥へと逃げ込んでしまいます。それが葛藤やトラウマに発展してしまうことになりかねません。)

本当に他者と協調していける世の中、そして真に平和が浸透していく世の中・・・未来を担う子供たちが安心して暮らせる世の中、動物たちが自分たちの気持ちや自由を尊重されながら、人と平和に暮らせる世の中・・・・そうした社会が築かれていくには、それは一人一人がまず、「ありのままの自分」を受け入れ、認めるところからという気がします。「そんなこと言うけど、実際にはなかなか自分でそう思うことが難しい・・・」そう感じられたら、ぜひディクシャ会や個人ディクシャにいらして下さい。少しでもあなた様が、あなたらしくいられることと、葛藤を薄くするためのお手伝いを、微力ではありますが、させて頂ければと思います。ぜひご参加をお待ち申し上げております。
【2007/04/05 13:52】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
他者のせいにすることの悲劇
最近、車がよく汚れます。最初は、お迎えのマンションの建設現場の土が風で・・?とも思ったのですが、違いました。もっとひどい地域の方がいる中私たちのところはまだマスクは要らないようですが・・・。

ずっと以前、自然からのメッセージがあったときのことです。
毎年話題になる花粉症ですが、このことについてでした。「私たちは、自分たちを守るため、子孫を守るためこのようにたくさんの花粉を放出せざるを得ないのです。私たちは長い年月をかけて環境に根付くエネルギーをつちかってきました。けれども、慣れない土地にまだ若いうちに移し変えられ、私たちはそこで生きていくための手段を新たに考えなくてはなりませんでした。そうしたことと併せて、私たちはもう1つの課題に取り組まなくてはなりませんでした。それが空気と土そして水の汚染です。空気と土と水の汚染によって、私たちの子孫にまで及ぶ影響を考えなくてはならなくなりました。たくさん花粉を飛ばさなくては、空気中の汚れた物質によって、多くが子供たちを生み出す基となり得ない状況になっているのです。あなた方と私たちは、同じ環境を共有しています。友として、早急に出来ることを行なってもらいたい・・・そう私たちは願っています。」

もうこのメッセージは大阪のM市に居るときでしたから、6,7年前になるでしょうか?私たち人間や動物たちにまで花粉症のような症状が出てきた事実が、ハイヤーセルフを通じて、自然から受けたメッセージから、納得がいったのです。

私たち人間は、黄砂が吹き荒れれば、黄砂を悪者にし、花粉が飛べば、花粉を悪者にしている風潮があります。しかしながら問題なのは、花粉や黄砂ではないということをここでもう一度考えて頂きたいのです。花粉や黄砂に吸着する化学物質、汚染物質こそが、私たちや動物たちの体に影響しているのです。しかしながら、そうした物質をこの世の中に排出しているのはいったい誰でしょうか?花粉でも、黄砂でもないはずです。

生活する上で私たちには必需になっていることやものがあるでしょう?
しかしながらここでもう一度、本当に必需なのかどうかを考えてみる必要があるようです。私たちは車社会、パソコン、携帯などを手放すことはなかなかできないでしょう。文明生活にはそれは必需であると考えられていて、実際になければ困ることが多々あるでしょう。それらを全てなくすことはできないかもしれません。私もなければブログを配信することはできません。(苦笑)しかしながら、一人一人が「環境と私たちの意識は繋がっていて表裏一体のものなのだ」という事実に気付くだけでも社会は変わります。よくよく考えてみると、ブログが書けなくても本のようにまとめることは手書きでもできるのです。日本は鉄道も発達しています。そんなに大陸移動をするほどに、車を使うことも必需ではないのかもしれません。携帯電話だって、阪神淡路大震災以降にこれだけ普及をしたのであって、それ以前は「あれば便利」くらいの感覚だったはずです。

こんなことを書くと家電メーカーや販売店からは苦情が来るかもしれませんが・・・(苦笑)もちろん、私も自分の周囲でも、これらを全てすぐに止めることは難しいと感じています。けれども自分たちの日常を振り返り、何気なく行なっていることに、1つずつ意識を向けて、「これはなくてもいいのかもしれない」と思えることを、違う方向にシフトしたり、使用回数を減らしたりしていくことはできると思うのです。

もちろん、こうした便利なものを作る側の方々は、今では使う側の方々よりも、環境を意識をされているはずだと思います。これは家電に関わらず食の世界でも同じです。私たちは食べ物が食品となった形で購入をしますが、「それらを作ってみて下さい」と言われて、作れるでしょうか?お肉は家畜と呼ばれている動物たちを育て、そしてと殺して食肉になるまでを体験すれば、私たちも食べ物に対しての見方が変わるでしょう。肉だけではありません。牛乳、魚、野菜、果物・・・様々な食品に
対し、私たちはいつのまにか「感謝」をして頂くことを忘れている気がします。今は、作る側が何かと問題にされています。しかしながら、消費する側に全く問題がないといえるでしょうか?これも全て表裏一体のような気がするのです。

これは私自身も体験してきたことですが、人間受け身になればなるほど、何かあれば他者のせいにしたがります。「私が(原因を)作ったわけではない」という態度や思考になるのです。それらは全て循環であり、出来事というのは、どちらか一方だけのせいで決して起こることはないのですが、その事実を私たちは棚上げしています。それが政治・社会・経済・環境・家庭・育児・教育・科学・化学・医学・・・あらゆる分野に波及し、様々なところでひずみが起こってきているということを、自然は自分たちも危機にさらされながらも、友として教えてくれているのだと私は受け取っています。

今すぐに今までの生活を変えることは難しいかもしれません。けれど一人一人の意識が、自然、動物たち、そして私たち人間それぞれが別々の道を歩くことはできないということを再考して頂ければと思います。そしてこれから・・・私たち一人一人として何ができるのか・・・今一度考える時期にきているのだと思います。まず個人個人意識すること・・・これだけでも集合的な意識は変化していくのですから・・・。

【2007/04/04 13:01】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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りえこ先生のブログ


プレマ動物ナチュラル・ケア・クリニックのりえこ先生のブログです。

プロフィール

プレマリエ

Author:プレマリエ
ホリスティック(ナチュラル)・ケア主体の動物クリニックを、獣医師の夫と共に営んでいます。私は動物の心・魂からのメッセージを、ご家族にカウンセリングを交えてお伝えする、アニマル・コミュニケーターをしています。また、2005年に南インドで研修を受け、魂の前進・解放を促すエネルギー・ワーク「ワンネス・ディクシャ」のインストラクターになり、セミナーも開催しています。人と動物の種別を超えた絆、人や動物たちが本当に幸せになるために、魂的な前進をしていくために、私たちが、どのように生きていくことを自覚していけばよいのかなども、お話ししていきます。どうぞよろしくお願いします。

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