鏡磨き(17・終)〜ワンネス・ディクシャの存在〜
私の中で移転する前から1つの悩みが生まれていました。
それはアニマル・コミュニケーションをしている中で生まれていた葛藤でした。確かに、アニマル・コミュニケーションをすれば、動物たちは本当に「聞いてもらえた」「受け止めてもらえた」安心感で、その場で変わる子もいれば、保護者の方にそのメッセージをお伝えし、機を配っていくことで、その子が納得して明るくなっていくケースも多く、本当にそのこと自体は私も嬉しく思っていました。しかしながら、アニマル・コミュニケーションは、もちろんその子の心や魂の声をお伝えするのですが、それには、保護者の方へのカウンセリングという形を取ることになります。実際どこかで、アニマル・コミュニケーションでなくとも、「カウンセリング」を受けられた方ならお分かり頂けるかもしれませんが、そのときはものすごい安心感があるものです。しかしながら、カウンセリングやアドバイスの中での限界は、その人や動物の思考パターンを変化させることはできないという点なのです。

せっかくコミュニケーションをさせて頂いて、肉体的な容態も安定したケースや治癒してしまったケースも多くありますが、そうした場合でも、半年くらい経過して、また新たな問題が浮上するというケースも半分くらいあることに、私は疑問を感じていたのです。「私は人間の言語を持たない彼らの代弁をさせてもらっている。けれど、彼らの気持ちが保護者の方に、そのときは伝わったとしても、そうした『理解してもらえる』という関係性が、持続していくことが果たして可能なんだろうか?彼らの気持ちを聞いてあげることで、そのときの問題は解決されることがあったとしても、一度『聞いてあげる』という経験をしてしまったことで、逆に言えば『聞いてもらえない状況』に対しての不満を募らせてしまうことにはならないだろうか?ということも思い始めていました。もう1つは、個別の相談に置いては、彼らの気持ちを伝えていけるのですが、彼らの中では種別的メッセージを持ってくる子もいるのです。
「僕たち犬が望んでいるのは・・・」「私たち猫はそういうものなのよ」という話になると、保護者の方がそこまで望んでいない場合、そのメッセージは残念ながら受け流されてしまうこともあります。

やはり、私が通訳をすることで、一呼吸置かれてしまいますから、なんとかこうした内側の彼らの気持ちを、コミュニケートができない人たちでも実感してもらえる方法はないだろうか・・・?私はプレゼンス(内なる聖なる存在<ハイヤーセルフやディバイン・プレゼンス、内在の神性意識ともいいます。>)に「できれば近いうちに、私の中のこのすっきりしない気持ちを解消できるようサポートをお願いしたい。」と頼んでいました。

すると2005年の春、お世話になっている人間の治療家の先生のところで、夫が「ワンネス・ディクシャ(その頃はディクシャと単に読んでいましたし、今でも省略してはディクシャと呼ぶこともあります。)」の存在を知ることとなり、そのことについての本を買って私にも説明してくれました。私は夫のように理論派ではありませんし、「難しいことは分からないから、実際体験してみてそれからコメントさせて」と、個人のディクシャ講師の方のところで、ディクシャを体験したのです。それ以降のエピソードは、もう1つのブログに全て掲載しておりますので、ご興味のある方は「理恵子先生のディクシャ研修日記」をお読み下さい。

ここまでの道のりは平坦なものでは決してありませんでした。
できるだけ正確にブログでは振り返ったつもりですが、それでも自分たちの体験を話すのには勇気も入りました。
けれども、私たちが人間の方のメンタルな部分のケアのサポートに、力を入れていく方向性になっていった経緯をお話しするには、自分たちの失敗をまずお話ししておく必要があるだろうと思ったのです。
こうしたブログを綴ることを黙認してくれた、夫のプレマには本当に感謝をしています。

私の中では、夫とも何度もぶつかり合いもありましたし、これからもあるかもしれません。しかしながらそんな中で、改めて本当に必要な魂のパートナーであると実感をし、お互いディクシャ講師となった今では、私の中で日々小さなことで夫に対しての感謝が、春に咲くお花のように咲いていっています。夫の性格をドラマの主人公にたとえるなら、韓国ドラマファンの方ならお分かり頂けるかもしれないのですが(笑)、「天国の階段」の主人公である「チャ・ソンジュ」にとても似ていると感じます。もっとも、あそこまで激しい性格はないですが・・・(苦笑)。同じ目的を持って仕事をしている関係性だから、おそらくうまくいっている私たちだと思います。ただ純粋に夫婦としての相性は、夫曰くは占いでも「悪い」そうですが。(笑)それでも、それなりにうまくやっていける秘訣はあるんですよ。そうした身近なことも、人間関係を整えることの重要性として、ディクシャ会ではお伝えしていこうと今後も思っています。

色々書きましたが、私は夫がいとおしくて仕方がありません。インドから帰国した一昨年末から、特にそう感じるときが多くなりました。もちろん私もまだまだ未熟なので、腹の立つときもありますが(苦笑)、夫の気持ちがどうあれ、私は、「いとおしい」とそう感じる気持ちそのものを大切にしようと思っています。

そしてまだまだ私たちは、動物たち、そして未来を背負う子供たちの奥深くの意識に導かれ、変革し続けると思います。
鏡磨きの章もこれで終わり、また日々のブログに戻りますが、今後も
また私の日々徒然と書くブログを(どうしても予約の空きの日に一気にということが多くなってしまい申し訳ございませんが・・・)引き続き、またお読み頂ければ幸いです。
【2007/03/28 18:12】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(16)〜新たなる旅のはじまり〜
夫の体調はみるみるうちによくなっていきました。そんな中で、やはり私たちは「もう一度私たちのスタイルで始めていこうよ」という気持ちも一致していきました。

人は、自分の希望していることとは違うことを無意識で否定しているにもかかわらず、受け入れていくしかないとなると、こんなにも心身に影響が出てしまうのだなということを、私は客観的にみることができました。でも多くの男性は、そんな状態でも頑張り続けてしまうことでしょうし、走り続けてしまうでしょう。そのことが、自分の体を蝕んだり、家庭内での暴力や不和という状態に、陥ってしまうかもしれないということはよもや考えてもいないと思います。

私たちはそのように長年の間に教育されてしまっていて、規制的概念のシフト変換が、もはや自力ではできなくなっているように思えます。
だから今、精神性の疾患で悩む人が増えているのではないでしょうか?
そのことさえも、少し前までは異質とみられていたのです。「甘えている」「我慢が足りない」「男のくせに」「女のくせに」そういわれ続けて・・・。それでは私たちはいつまで「我慢」しなくてはならないのでしょうか?今でも日々カウンセリングに来られている、患者様ご家族様の中でも、ご自身のメンタルのケアが必要な方が多くいらっしゃいます。そんな中で私たちはいつまで、どのくらい頑張り続ければよいのでしょうか?

夫の両親からも、私の実家からもそれ相応の批判はありながらでしたが、結局、私の母は、結婚のとき迷っていた私を後押ししてくれたのと
同じ形で「あなたが幸せでいてくれたらそれでいいの。相手のために何かをしてあげたいと思っているのなら、最後まで相手を信じて支えてあげなさい。」そう言われて、決して母自身も余裕のある生活ではないはずであったにも関わらず、資金的なサポートとアドバイスをしてくれたのです。また、当初は反対していた夫の実家も、移転が決まると、資金の援助を申し出てくれたのです。

しかしながら、移転計画は当初難航しました。当初は都内での開業を考えていたのですが、予定していたところに借り手がついてしまったり、価格的に思うような物件が見当たらず、いたずらに日々が過ぎていきました。しかしながら、その理由は私にはちゃんと分かっていたのです。夫の中でまだ「移転しても本当にやっていけるのだろうか」という迷いがあったからでした。こういうことは、夫婦で気持ちの足並みがそろっていないとなかなか実現しないものです。ましてや、夫は意思の力が非常に強い人だったので、思ったことは実現させていく力を持った人でした。それなのになぜ?という気持ちもありましたが、いろいろあって夫の中でも、夫がもっとも私を勇気付けてくれた言葉である「大丈夫」に自信がなくなっていたのかもしれません。でもそのときも不思議と私の中で「大丈夫」という言葉がこだましていました。ですから今度は私が夫に「大丈夫」と言い続けたのです。

そうして、私たちはハイヤーセルフに尋ねながら、私のハイヤーセルフから感じられる「大丈夫」を信じて、あきらめなかった結果、今の地に新たな形でホリスティック・ケアを1つの選択肢として、普及させるためのクリニックをOPENすることができたのです。今から考えても、あれだけの資金で、しかも海のものとも、山のものとも分からない状況の中で、最終的には身内を含め、他者の協力が得られていったことには、深い感謝と共に今更ながらに、みえない力がはたらいているとしか思えないことだったと思います。しかしながら、まだ旅は始まったばかりでした。私の中でもう1つ、どうにか解決したいということが生まれてきていたからです。
【2007/03/28 17:21】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(15)〜スイッチ・オフ〜
夫は、関東にクリニックを辞められる先生の代わりに、院長として赴任する話の依頼を受けていました。「話が違う・・・西洋医学ではもう臨床はやらないつもりなのに・・・」そういう思いと、今までのストレスが一気に噴出したのか、夫は寝起きに鼻血を出すようになりました。そして、めまい、嘔吐というような、いわゆる自律神経の症状が出始めたのです。夫はそれでも前向きに表面上は考えようとしていましたし、関東の地図を買ったり、インターネットで調べたりして、赴任を、とりあえず受けてもいいんではないだろうかと、考えようとしていたのだと思います。

私はやはり、この仕事自体、時期尚早であったことを痛感していました。夫に対しては正直苛立ちを覚えていました。「こんなに身体がたくさんサインを出しているのに、まだ分からないのかなこの人は・・・」という思いもありました。生活のことやお金のことを、これほどまでに気にするのなら、いっそ私がやっぱり、外で働く決断をした方がいいのかもしれない。そう思い始めていました。とうとう、プレマは毎日襲われるめまいに検査を受けることを受諾しました。そして脳のMRIを撮影した結果、「瘤」があるかもしれないという疑いが出てしまったのです。

そして1ヵ月後再検査をすることにし、このままでは迷惑をかけることになるであろう会社に退職願を出し、全てのスイッチを切ることにしたのです。その1ヵ月の間も、私にとっては針のむしろに座っているような気持ちでした。「もし、動脈瘤があったら・・・もしそれが破裂したら、私はどうしたらいいんだろう?」ずっと悩んで悩み続けました。

そして1ヵ月後の検査で、その結果が誤診であることが分かり、これほどホッとしたことはありませんでした。しかしながら症状として出ていたものはあったので、おそらく自律神経だろうという診断でした。そうしてようやく夫は少し養生しながら、先の設計をゆっくり考えることに同意してくれたのでした。「ここまでならなくては、スイッチを切れなかったんだろうか?」というのがものすごい疑問でしたが、夫の中の責任感・罪悪感がここまで夫自身を追い詰めてしまったことを経験したことは、振り返ると魂的にはいい経験だったのかもしれません。

それまでどこかしら夫の中には、自分の獣医師として、治療家としてのプライドも前面にあったような気がしていたからです。もちろん、人より専門的な知識や経験を積んできたのですから、そのことは自分の中だけに留めず、他人様のお役に立てることが必要だと思います。そのために、夫も日々の研鑽と努力を重ねてきていました。そのことに置いてはいつも私も敬意を払っていました。

ただ、本当の意味でのホリスティック・ケアとは、それは単にナチュラル・ケア全般を指すことではなく、「相手の痛みをいかに自分のことのように感じ、その上で相手のケアをサポートしていこうと思えるか」だと私は思っています。我がごとのように、相手の痛みを感じることは、頭の中だけでは理解ができないことですし、感覚においても、全てを同じように感じられるとは限りません。もちろん、今回の生だけを私たちは生きているわけではありませんから、今生以上の苦しみも、痛みも経験してきていると思いますが、表面上はそのことを忘れてしまっています。それを思い出す必要があるときに、私たちは病気や怪我といったアクシデントに見舞われるのかもしれません。全ての人たち、動物たちとの繋がりを思い出すために・・・。その経験をさせて頂けた事は、夫自身にとっても振り返ってみて、必要なことだったと捉えられているようです。

そうして私も「これどようやく(夫に)休んでもらえる」と、ホッとして、同時にプレゼンスに「夫の身体が落ち着いた頃、またガイドをお願いできませんか?」と毎日お願いしてみることにしたのです。
【2007/03/28 16:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(14)〜価値観〜
私には気付かないところで、プレマは「働かない状態」に罪悪感を募らせていっていたのです。

仕事を辞めて1ヵ月して、あるところから仕事をしませんかという依頼を受けることになります。最初は臨床とは関係のない職務だということで、夫の中では「手伝う」というくらいの気持ちで働くことを決めたようでした。私には先急ぎすぎているようにみえていました。

そんな中で夫は、家族を守りたい気持ちが大きく、援助も受けられない状況で、その時々で、もちろんプレマなりに最良の決断をしたいと思ってきた結果だったのですが、いろいろなことが整理できていない状況で、私は再就職をさせてしまっていいのかどうかを悩みました。

そして「何もそんなに急がなくてもいいと思うよ」と話しましたが「いずれにしてもなにもしないわけにはいかない」それが、プレマの答えでした。本当に私は変わっているのかもしれませんが、多くの代の女性にもお話しておきたいのです。本当に男性だけが仕事をし、家族を守っていかなくてはならないのでしょうか?こんなに心身共に疲れ果てた状態で、家計を守るため、何かのローンを返すため、貯金するために身体に鞭を打って働き続けなくてはならないのでしょうか?

私は同じ仕事をする身として、どちらかがしんどいときは助け合う精神があってもいいのではないかと思っていました。それは家事や育児という分野でも同じだと思うのです。もちろん多くのご夫妻がそういう形が取れずにいることだと思います。夫もそうした両親に育てられてきているので、働かないことへの罪悪感が消えなかったのでしょう。

私は幸いにして、母が父親以上に外で働く人でしたし、まあ叔母たちが同居してくれていたので家事は父はしなくてもよい立場でしたが、それでも当時には珍しく、育児には積極的に参加するタイプの父親だったこともあって、「夫婦は協力し合うもの。それは男だから外で働く、女だから家庭を守り、子供を育てるという既成概念の枠を超えたものではないだろうか?」という思いが強くありました。私の中で、そうした両親の影響から、夫婦は共同体だと今も思っています。最初から協力し合えないような関係なら、どうして夫婦の形を取る意味があるんだろう?そういう思いが強くありました。もちろん今なら、夫婦としての形は、魂的にそれぞれ意味合いがあってのことだと分かるのですが、そのときは私もまだ自分の夫婦としての理想に囚われていたのだと思います。

それでもプレマは私に「お前は子供もまだ小さい状況でまたサラリーマンに戻って、フルタイムで働けるのか?」そう聞いてきました。「それは・・・だからなるべく早く次のステップを考えようよ。きっとなんとかなるよ。」と答えるだけで精一杯でした。「楽観的過ぎる・・・」そうプレマには言われました。でも私にはなぜだかずっと「大丈夫」という内側のプレゼンスの答えがあったのです。それがそのとき私が、フルタイムでサラリーマンとして働くこととはどうしても繋がらなかったのです。

結果的に夫は、クリニックに赴任するような話になっていってしまい、その頃からプレマは体調に異変が出るようになってしまったのです。
【2007/03/28 15:58】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(13)〜整理の必要性〜
退院してから私は、本を書く準備を始めました。神様から与えられた時間・・・そう退院してからの生活を受け止めていきました。
実際、ホリスティック・ケアはクリニックでは1割程度の割合しかできない状況になっていました。それでも継続してくださっている患者さんのためにお薬の発送と連絡を行う業務は、私が自宅で引継ぎ、アニマル・コミュニケーションの患者さんがあるときだけ、クリニックに出向く、そしてメインは、本をいつか出すための執筆作業という風に決めて、自分の中で種々の整理を始めたのです。

実際、本を出版する話はM市で開業し、雑誌に連載をもっていたときからお声をかけて頂いていた出版社やエディターの方もいました。しかしながら、意見の食い違いなどがあったり、方向性がずれたりする中で、
出版の話自体が立ち消えになったり、私からお断りするケースもありました。結局まだ時期でないんだ・・・そう思えていました。
静かな時間を過ごしていたN市でいたときは、執筆の依頼自身もなくなっていました。「執筆依頼もないのに、書くなんてね・・・」と思っていましたが、反面やはり「仕事が忙しければ、なかなか書くことなんてまた無理になってしまうかもしれない」そういう思いがありました。

そうして私は今までの体験をもとに執筆を進めていきました。
すると、M市時代から親交のあるエディターの肩から連絡を頂いて、「一緒に本を出しませんか?」というお話を頂けたのです。ところが、私の中では実際の本を出すという形になると、「利益の上がる」本をということでいろいろな規制がかかってくるという現実に直面することになります。私は無理をすることをやめました。「今、書き溜めておけば、もっと将来的にいい形で出せるときがくるかもしれない。きっともっといいタイミングがあるはずなんだ・・・。」そう素直に心に思えていったのです。不思議と焦りはありませんでした。

そんな頃、やはり上との方向性がずれてきていたプレマ自身にも転機が訪れていました。「もうこれ以上、あそこでやれることはないよな・・・。」夫は私に話をしてくれ、私たちは正式にクリニックを辞めたのです。さて、明日から無収入の日々が始まります。そんな私たちは「海でも見に行こうか」と淡路島に子供と3人で出掛けました。

私の方は「やっと(プレマが)決断してくれた」という思いでした。正直、プレマは父親である義務を果たそうとすることに、必死だったのだと思います。私は変わっているのかもしれませんが、何の不安もありませんでした。むしろ晴れ晴れした気持ちがあったのです。もちろんお世話になった会社には感謝をしていますが、やはり会社となると利益を追求しなくてはならないことが先決になるのは仕方の無いことだと思います。ただ、私たちの求めるスタイルとは違っていた・・・それだけのことだったのだと思うのです。

プレマは「どうする?明日から無一文なんだよ?」と私に念を押してきました。「大丈夫。なんとかなるよ。少し休もう!ゆっくり考えればいいよ。」その頃の心境をどう説明すればよいのかは分かりませんが、バラバラになってしまっていると感じていた夫との気持ちが、再び繋がっていく感覚が私にははっきりと感じられていたのです。だからこそ心の底から「大丈夫だ」と思えました。ところが、私とは裏腹に、プレマの中ではまだ不安と戦い続けていた事実があったのです。
【2007/03/28 14:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(12)〜手術、そして再び内側と向き合う〜
内科の処置が終わっても、大学病院は一括でそうした全ての処置を終えてくれるわけではありません。「外科病棟が混んでいるので、手術は1,2か月先になりますので、一度退院して下さい。」と言われたのです。

私にとってはむしろラッキーでした。その間に最後のあがきを始めました。当時実家に月参りに来て頂いていた住職さんから、気功の先生を紹介して頂いて連絡を取り、気功と整体を受けにいっていました。整体はゴキッバキッとならすもので、毎回ドキドキしていたのですが、気功はものすごく患部が熱くなるのを感じ、「これで溶解してくれればいいな」くらいに思っていました。さすがに、手術の予定のある病院では再検査を頼むことができなかったので、気功に3回くらい通ってから、近くの病院で再検査をしたのですが、残念ながら石はなくなるどころか、大きさ自体も変わってくれていなかったのです。

もうタイムリミットがせまっていました。
子供を抱えてまた痛みが出たら入院することを繰り返すことも、避けたいと思っていました。「ここまでやってダメだったのだから、手術は受けよう。」そう決めました。そして外科病棟に再入院し、手術を受けたのです。石は単純(コレステロール系)結石ではなく、緑色のビリルビン結石でした。かなり硬く手で潰れるような範囲でもなかったのです。
金平糖のような形をしていました。「感情の塊がこんな風になったのだろうか・・・」無事手術が終わった後、認めたくない事実を突きつけられたような気分になりました。

夫は私の手術の日の夕方から、アメリカの動物病院の視察のために出張に出かけてしまいました。夫は涼しい顔で「こんなときもあるよ。俺は自分が体調崩したことで、改めて精神的なことと、身体は切り離せないことを実感できたし、お前も今は考える時間が必要な時期なんだろうと思うよ。ゆっくりこの機会に向き合ってみたら?俺はチャンスにも恵まれてるし、また頑張ってみるからさ。」と旅立っていきました。私は、夫の健康がたいしたことがなかったことが、本当に嬉しかったのですが、夫が言う一言一言が、気遣いの言葉というよりも、人の気持ちを考えていないデリカシーのなさと、傲慢さとして聞こえてしまっていたのです。でも、そう思えてしまっている自分の心の状態が、不健康だという風に思え、自分をまた責めてしまっていました。「夫のためにこれだけ心を尽くしているのになぜ?」そう思っている自分がいました。私はこのときまだ、「誰かのために何かをしてあげている」という気持ちは、逆に相手からの見返りを求めている状態であり、それが得られないと相手を責めてしまうという悪循環になっていることに、気付いていなかったのです。「こんな状態だから、手術をする結果になったのかもしれない。私はどうして、相手に心を向けられることだけで満足できなかったのだろう?」と悲しくなりました。
【2007/03/28 13:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(11)〜3度目の入院〜
転院するための病院は大学病院だったので、ベッドの空きはすぐにはありませんでした。とり急ぎ投薬を続けながら1週間ほど待って、入院をしました。

内科病棟での措置は、肝臓・膵臓の数値が不安定だった私の状態を考慮して頂き、10日間入院する中で行われることとなりました。
そして、無事措置が終わり予後もよく予定通り退院することができたのです。

その間のプレマは、こちらの心配はよそにあっけらかんとしていましたが、本人としてはものすごい痛みと苦しみを一夜にして経験したので、
以前と打って変わって「無理しなくていいからな」と言ってくれるようになりました。私にしてみればこのとき「誰のせいでこんなことになったと思ってるの?」という気持ちが正直ありました。

ホメオパシー的には、石や腫瘍は「表せない(特に怒り)感情が塊になってしまった状態」を意味することが多いのです。表面的に温和で、あまり怒らない、怒れない人の方が石や腫瘍はできやすいようです。
つまり実際的に、その人(動物の場合でも)が温和で優しい人であっても、本当に心底、怒りを感じていなければいいのですが、理不尽な思いや葛藤の中で怒りや苛立ちを噴出させることなく、内側で貯めてしまうと、結果、そのような肉体の変化として現れる場合があるということなのでしょう。逆に、カーッとなって怒りやすい、短気な人の場合は、だいたいが肝臓疾患やどこか内臓の「炎症」という形で起き易いことが多いようです。

プレマが腸炎、私が胆石という結果になったのも、恥ずかしながら頷ける結果だったと思います。まだこのとき私は「すぐに怒りを人に向ける人の方が悪い」と思い込んでいましたので・・・。(苦笑)このときはまだ、多くのシチュエーションは、自分の心の持ち方こそが作り出しているということを、受け止めることができていなかったのだと思います。私にとってはいろいろ考えることができた時間であったと思っています。
【2007/03/28 13:15】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(10)〜2度目の入院〜
産後ほどの痛みではなかったものの、私が思う以上に、夫を心配したすトレスは身体に現れてしまいました。夫は4日間の入院でケロっとしてしまいましたが、私は20日以上、内科病棟に入院することになってしまったのです。そしていずれもう胆嚢を切除しなくてはならないことを告げられていました。

肝臓の数値が下がらない状態が続き、主治医の先生との相性にも疑問があったので、私は転院をすることを自分の中で決めていました。不思議なものですが、主治医の先生と患者側のピントがずれていると、治療が難航することはよくあることなのです。それは、複数の先生と動物たちそして保護者の方をみていても、感じていたことでしたし、父親の治療のときにも感じたことでした。

このままでは、いたずらに日にちが過ぎてしまうだけのような気がする・・・そう思って、転院のことを申し出ようとしていました。実は、胆嚢を切除する場合、まず消化器専門の内科病棟で、胆管の中にある石や砂などの掃除を行うのです。これは日帰りでも可能な施術になります。その後、外科で胆嚢を切除するのが一般的な流れになります。その
病院では、消化器内科がなかったので、1日別の提携病院でその作業をして帰って来ることになります。それも私としては不安がありました。
同じなら内科も外科も同じ病院で済ませたいということがありました。
しかしながらなかなか主治医の先生からのO.Kが出なかったのです。

1つの病院に勤める医師として、担当患者が転院を願い出るということは不名誉なことなのでしょう。何度も説得をされました。しかしながら、私はどうしても転院をしたいと強く願い出て、肝臓の数値も万全とはいえないまでも、ようやく1週間後に退院をし、別の病院への転院手続きに出かけたのです。
【2007/03/28 13:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(9)〜表裏一体の心身〜
実はこの頃、クリニック内でも種々の問題が持ち上がっていました。
上の望む方向性と私たちの望む方向性は段々かけ離れていっていたのです。その状況で私が職場を離れるということは、どうなっていくんだろうという不安もありました。それだけでなく、スタッフ間の人間関係などの問題も浮上していたのです。

私がそのことを心配すると、プレマは怒りをあらわにしていました。
夫のプレッシャーやストレスは、私が思っていた以上に大きかったのだと思います。どちらかというとスタッフの接着剤的な役目をしていた私が抜けたことで、クリニック内では微妙な細かな問題やすれ違いが多くなっていることを、当時パートに入ってくれていた友人からも聞き、私の中では不安が募り始めていました。

そんな矢先、当時マンションを借りていたのですが、室内の廊下を擦るような音で夜中目覚めました。和室の寝室のふすまをあけると、プレマがうずくまっていました。みると顔中ものすごい汗でポタポタとその汗が、床に落ちていました。「どうしたの?!」と私が聞くと「・・・ちょっと限界みたいだから救急車呼んでくれる?」それだけ言ってまた、夫はうずくまってしまいました。

私はすぐに119番をし、救急車に来てもらいました。
息子が寝ていたので、夫は一人で救急病院へと向かいました。
すぐそれから夫の実家に電話をし、夫の急変を伝え、
しばらく息子を預かってもらえるよう頼みました。

夫は急性腸炎と診断されましたが、私は自分の病気のときよりも数倍心配になってしまったのです。そして院長不在の間に私がクリニックの連絡係りを務めねばならず、急激なストレスがかかりました。
結果は、プレマは4日の入院で退院してきましたが、私の胆嚢炎が入れ替わりに再発をしてしまったのです。
【2007/03/28 12:47】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(8)〜すれ違う思い〜
新しい病院は、国道沿いのとても立地としてはいいところにありました。企業側がペットゾーンとして、大型スーパーの駐車場前に、ペットショップ、トリミングショップ、動物病院という形で作られたクリニックに私たちは入りました。建設中だったときに「この病院は流行る」という直感がありました。ただ同時に「ここはプレマの病院ではない」との思いもありました。

ペットショップで売れた仔犬・仔猫のワクチン接種はほぼ9割くらいの割合で、クリニックに来院して接種されていきました。
多いときは1日に50件以上診察が入ることがありました。
私は普通に受付をしたり、診療の補助をしたりしましたが、
患者さんの顔も覚えられない状況です。全てカルテナンバーで処理していく毎日が続きました。忙しい病院はそんなものなんだろうか・・・そう思いながら、私はあまり日々のためいきを増やしていきました。

なぜなら、継続の患者様に十分な対応ができなくなっていったからです。あれだけプレマを愛して下さった患者様ご家族様に対して、ホリスティック・ケアに必要な十分なカウンセリングやフォローが難しい状況になっていったのです。メンタル・ケアも非常に落ち着かない状況で、
来て頂かなくてはならず、本当に心苦しい思いをしていました。

プレマは院長として他の先生、スタッフと連携していかなくてはならないため、休みを取るとホリスティック・ケアに来られる患者さんの対応ができないということを受け、いつのまにかホリスティック・ケアを積極的に行えなくなっていっていました。私は「確かにお給料もお休みも保証されているけど、これって本当に私たちのやりたい方向性なのかな?」と疑問を唱えました。するとプレマは「確かに・・・お前は特にやる必要がないかもな・・・。」そう言って、私のパートを辞めさせ、
家で執筆活動に専念することを提案したのです。プレマとしては、私のストレスを軽減するために、提案したことだったと思いますが、私は疎外感を感じ、打ちひしがれました。「そうじゃない。私の言いたいことはそうじゃないのに・・・。」と悩みました。クリニックは忙しく、夫婦でそうしたことを詰めて話す時間もありませんでした。私が軸を戻したほうがいいんじゃないのという話をすると、プレマは怒りました。「将来的にそうするために、今頑張っているんじゃないか。」と・・・。そう言われると、そのときの私にはそれ以上何も言えなかったのです。
【2007/03/28 10:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(7)〜新たなる転機〜
一度目の入院があってから、またいろいろと生活に気をつけていき、ちょうど入院から1年半が過ぎた頃、夫のプレマから「そろそろ将来的なことも考えていかないとな。」としみじみと話されました。子供が3歳になり、そろそろ次のステップを考えていかなくてはという話でした。

正直、関西ではまだまだホリスティック・ケアという形で浸透していける状態ではありませんでした。形態として、育児を中心に考え、普通の借家の1Fを中だけ最低限改装して、診療室を設けていた形だったので、外からは普通の家にしかみえません。立地的にも人通りの多いところではなかったので、まさに知る人ぞ知るという感じだったと思います。
当時は直接来院される方が3割、あとの7割が首都圏を中心にした遠方患者様ご家族様に対しての電話カウンセリングとホームケアができる自然薬の発送でした。貯金もどんどんなくなっていき、ホリスティック・ケアという選択肢をご家族に普及する前に、自分たちの生活の維持も難しくなってきていたのです。首都圏の保護者の方からは「ぜひ近くに来て下さい」というラブコールを頂いてたのですが、移転費用もなかった私たちにとってある程度将来的にそのようにするためには、貯金をしなくてはならない状況があったのです。

プレマもいろいろと手を尽くしたものの、八方塞の状況が続きました。
そんなとき、ふっとプレマが出席した開業者向けセミナーで、アメリカ式に企業が病院を経営する形態があることを知り、プレマは「2,3年、そういう状態も仕方がないのかもしれない」と、セミナーで知り合った、経営コンサルタントの方と話をし、着手している委託契約という形での、企業経営の病院で働くことを決めたのです。形式上は院長ですが、一般の病院で全て施設や必要なものは企業が用意してくれるという
ものでした。そして年間の利益の一部はボーナス代わりに支払って頂き、月々の給料は固定性というものでした。私たちとしては、もうそうした方法を選択するしかそのときはありませんでした。

そして2年間、そのクリニックで、プレマは院長として、私はパートで
働くこととなるのです。
【2007/03/28 10:17】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(6)〜一度目の入院〜
私がそんな状態でも、夫のプレマは当時、「ホリスティック・ケア」というものにかなりのこだわりを持っていましたので、現在の柔軟な考え方とは違い、若さも手伝っていたのだと思いますが、「自然療法で治す、自分で治す、内側の意識を変えて治す」ということにこだわっていました。ですから、私が病院に行くということに頑なに反対したのです。

しかし次第に私は「命が尽きるかもしれない」という内側の直感を感じるようになり、「検査だけでも受けにいきたい。私子供残して旅立つわけにはまだいかないの・・・。」とプレマに話しました。当時のプレマは、仕事をクリニックを軌道に乗せることで精一杯だったのだと思いますし、また、やはりまだ「治療する側」の立場しか感じられていなかったのだろうと思います。

こうしたことは責めることはできません。それは仕方のないことです。誰でも経験のないことは実感できません。私の父親も、人工透析をするようになってからはじめて母にこう言ったそうです。(母はずっと病弱だったので、一緒にデートをしても「しんどいから帰る」ということがよくあったそうです。でも子供の頃から健康優良児だった父には「しんどい」という感覚が分からなかったらしいのです。)
「お前がよく言っていた「しんどい」っていう感覚がこういうことだったのかと、やっとわかったよ。」と・・・。

後に夫のプレマも私の体の大変さを、痛感する出来事を経験することになります。でも、当時は私が甘えているだけだと受け取っていたようです。でもさすがに、私の様子を見て検査を受けに行くことを賛成・・・はしてくれませんでしたが、結局黙認してくれました。

発作が起きて2週間目にようやく病院で検査を受けることにしたのです。結果は本当に恥ずかしいものでした。「あなた・・・こんなになるまでなんで放っておかれたんですか?膵炎も併発しているし、白血球の値もとんでもない数値ですよ。即入院してください。」と医者にはものすごい剣幕で怒られてしまいまいた。

(そんな、急に言われても・・・)私は事情を話しました。「子供もまだ小さいので、このままでは何の準備もできないので、いったん家に帰りたいのですが・・・」という私に医者は、「そんな気楽なレベルじゃないんです。今すぐ入院してもらわないと命の保障ができない状態です。」と言われました。しかしながら2歳の子供を放って、そのまま入院するわけにもいきませんし、仕事の段取りもあります。こういうことで、迷惑を一番かけたくなかった義母相手に頭を下げて、入院中、泊り込みで息子の面倒をみてもらうことにしました。(本当に義母にはいざというときに助けてもらうことが多くあります。意見の相違があって、嫌味を言われることもあったりしましたし(苦笑)、母乳育児のときは本当に意見の相違で、もともと怒ったり、家族でも他人でももめるのが苦手な私が、義母とはものすごく口論になったこともあります。でも、そうして折に触れ、本音をぶつけてきたせいか、やはりいざというときには一番頼りになる相手でもあるのです。義母にも本当に感謝をしています。)そうして私は約3週間入院しましたが、膵炎がひどく手術ができない状態のまま退院しました。

すい臓の値については結局化学療法で下がることはなく、帰ってからは処方薬を一切飲まず、ハーブとその頃知った「酵素療法」という方法で、毎朝の朝食を酵素を活かしたままジュースにするという、スクリュー・ジューサーでジュースにしたりんごジュースに替えました。すると2週間後にはすい臓の数値は正常値に落ち着き、おまけに体重が4Kg減って、担当医から驚かれたほどでした。離乳が完全にその一ヶ月前に終えられていたことにも本当に感謝しています。息子は帰ってきてからの私も何事もなかったかのように、明るく迎え入れてくれました。「母は決して無理をしてはいけない」・・・それが今の私の教訓にもなっているような出来事でした。
【2007/03/24 14:46】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(5)〜第二の試練〜
当初はいろいろな行き違いがありながらも、義父母や実母にも徐々に母乳育児の理解を得られ、私は胆石発作と闘いながらの授乳をやり遂げられたことを、本当に誇りに思いました。
最後まで支えてくれた夫や周囲の人たちにも本当に感謝をしています。

仕事も少しずつ理解のある方が増え、「これから、公私共に充実した時間を過ごせる・・・」そう思っていた矢先でした。息子の2歳の誕生日にそれは起こりました。私は受診したわけではありませんでしたが、自分におそらく胆嚢に炎症(石も含む)があろうことを自覚していました。「食事にも気をつけてきたのになぜ・・・?」そんな思いでいっぱいでした。ハーブで石を落とすことも試みてみました。しかしながら、思ったより石が大きかったようで、内科的に落とすことが難しかったのだと思います。

「大の男の人でも、七転八倒する痛み」これが胆石発作です。私も脂汗をかきながらの授乳、とにかく食べ物も動物性のものを取らないことを心がけていました。そうしたことをも心がけたせいか、息子が生後1年半を過ぎた頃から、授乳中でも発作は起きなくなってしまっていたのです。

息子の誕生日パーティーを子供向けのレストランで予約していたので、その日だけはお祝いだし、少しだけでも一応お肉を食べてみよう・・・そう思っていました。そうして子供向けのレストランとして人気のところで、息子、私たち夫婦、夫の両親、私の母という形での食事会をしました。ところが、やはり食べて15分ほどすると、私の背中に激痛が走りました。それと同時にものすごい嘔吐感と腹痛も襲ってきました。しかしながら、せっかく集まってくれた親たちの前で失態をみせるわけにもいかず私は青い顔のまま、気付かれないように、必死で明るく振舞っていました。(何度もトイレに行ったらへんに思われる・・・そう思ってその場を限界を通り越してやり過ごしていました。)

プレマの両親と私の母を最寄り駅まで車で送り、ようやく我が家にたどり着いた途端、私はトイレにかけこみ吐き戻し、そしてそれから1時間以上寝床で七転八倒を繰り返したのです。
【2007/03/24 14:26】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(4)〜マッサージの実際〜
「痛いのでは?」と思っていて緊張していたのですが、F先生は「んー、確かにこれは出にくいおっぱいね。でも大丈夫。ちゃんとね、出るようになるの。お母さんの根気と頑張りがあればね。」とおっしゃって下さいました。先生は「おっぱいはね、ふつうこの肋骨の上にのっかっているの。その肋骨と胸の基底部っていう底の部分がくっついたままだとね、おっぱいを作って乳管まで運ぶときの循環が悪くなるの。だからここをはがすようにマッサージしていくのがコツなのよ。」と教えて下さりながら、マッサージをしてくれました。

「ふつうのマッサージは乳首を中心に穴を開かせるようなものでしょう?あれは痛いのよ。それに思ったほどの効果は出ないの。だっておっぱいがまず自然に湧いてこないと、塞がった穴も開いてこないでしょう?身体はね、全部繋がっているのよ。」と教えて下さったのです。常日頃、身体も心も全て点でなく、線で繋がっているという、ホリスティック医学を動物に説明し、ケアをしている私には、このアドバイスは痛いほど有難く身に染み、そして腑に落ちていきました。

体調によっては、痛く感じるときもありましたが、概ね本当に循環がよくなって「気持ちいい〜」と感じるマッサージです。そして当然のことながら食事についてもアドバイスがあります。「身体を温める根菜類を中心に食べてね。そして動物性食品と油脂類、甘いものはできるだけ控えてね。」そうしたところも、自然療法をやっている私たちのコンセプトと合致していました。(今はもう出産して7年以上経過してしまって食事もだいぶアバウトになっています。でないと正直なところ育児&仕事をやってられないです。<笑>おやつも普通に子供と食べますし、外食もします。<笑>)でもとりあえずその頃は、新米母としてまじめ(?)だったこともあり(笑)、「畑(母体)を整えておこう。」と自分なりに頑張っていました。先生の方でも、そんな私との話を楽しみにしていらっしゃるようでした。

通い始めて半年過ぎた頃から、息子もあれよ、あれよという間に大きくなっていってくれ、1歳11か月で自然に卒乳しれくれる頃には、(7ヶ月くらいからもちろん離乳食を始めて、1歳くらいではほとんどごはんも普通に食べるようになっていたので)平均を大きく上回る体型と、健康な身体に成長していてくれたのです。 <今でも母の私より丈夫で、病気になっても治りがものすごく早くて羨ましいくらいです。(笑)>
【2007/03/24 14:19】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(3)〜オケタニ式との出会い〜
私は当時、自分がお世話になった助産院の助産師さんにおっぱいのマッサージをしてもらっていました。もう、それは痛いを通りこすようなマッサージでしたが「これを我慢しないと乳管が全部開かないんだよね?」と我慢して通っていました。しかしながら、友人たちから聞いたその「オケタニ式」の母乳育児教室については、それまでの痛いマッサージ方法ではなく、お母さん自身も気持ちのいい方法で母乳を誘導するというものだったのです。私は直感的に行くことを決めました。

幸い、車で20分くらいのところの隣の市に教室があることを知り、予約を入れました。行ってみるとそこは、駅に近いマンションの1室でした。間取りとしては6畳ずつの、2DKといったところでしょうか。そこではおっぱい丸出しのお母さんたちが、それはそれは楽しそうにお話しをしたり、子供たちが自由に歩き回っています。中にはもう歩き回っている子さえ、おっぱいを飲んでいたのです。

とりあえず問診と左右のおっぱいの母乳の出方を比べ、まず、赤ちゃんのおっぱいの加えさせ方、抱き方から指導されます。そして順番を待って、いよいよカーテンもない中、上半身裸でベッドに私も呼ばれ、他のお母さんたちも見守る中、マッサージが始まりました。
【2007/03/24 14:13】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
鏡磨き(2)〜おっぱいで育てたい〜
久しぶりのブログです。体調不良もあったりで、楽しみにしてくださっていたみなさんごめんなさい。いつも読んで頂いて有難うございます。
話は飛びますが、私の育児のはじまりの「鏡磨き」の今回は2回目です。

もう7年余りも前のことになりますが・・・

息子は生後35日でお宮参りに行きました。
その後、私は夫の両親から息子のことを「赤ん坊らしくない。痩せている。」と指摘されました。実際、後で助産士の先生に聞くと、生後1か月は自然の摂理でいえば、胎内から外の世界に出て赤ちゃんなりの刺激に慣れる期間で、また胎内に居たときの食や薬の影響を解毒する期間でもあり、この時期は体重が減って当たり前なのだそうです。

母乳の出が悪くなると、周囲から「子供がかわいそうだからミルクを与えなさい」と言われて、泣く泣くミルクに切り替えていくお母さんも多いと思います。しかしながら3か月は正念場です。赤ちゃんはこの外世界に慣れるために、お母さんは出産という大役を果たし、また、慣れない育児で心身のバランスが整いにくい時期でもあります。母乳が出にくくてもそれは不思議でもなんでもありません。実際私もそうでした。私は義父母や実母からの(もちろん彼女たちなりに心配してくれてのことだと分かってはいたのですが)電話やFAXにも対応しなくなっていきました。価値観の相違があり、実際にそのことを経験していない人にとっては、結果が全てという部分があります。ですからいくら「この子のためにやっているんです」ということを強調しても、結果が出なければ分かり合えないことを悟ったのです。

私は無駄な口論も批判もしている暇はないと考えました。それでも私は孤独でした。周囲に母乳だけで育てきったという人が居なかったからです。私は焦っていました。毎日毎日泣いていました。胆石を抱えながらの授乳はただでさえ(おっぱいを吸われる度に石が動くため)ものすごい痛みとの戦いでした。「なんで私はこんなに頑張っているんだろう。義父母や実母を敵に回してまで・・・誰か教えて・・?」そんな気持ちで張り裂けそうでした。何度も産院からもらったミルク缶を開けそうになりました。でもその度におっぱいをせがむ我が子の顔をみてその手を止めてきたのです。

そんなとき、大学時代の独身の友達、当時執筆のお仕事も頂いていたので、そちらでお世話になっている編集者の方、そして私の姉というほぼ同時に3方から、同じ情報を受け取ることができたのです。それが「オケタニ式」というおっぱいマッサージの教室でした。
【2007/03/24 14:11】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブレイク・タイム 〜すなおな子〜
今日、ワンネス・ディクシャ(※)に来てくれた患者さんで、3年近くのお付き合いになるMDXのMちゃんが、2回目のワンネス・ディクシャを受けに来てくれました。

※(ディクシャはワンネス・ディクシャに名称変更になりました。
  ワンネス・ディクシャ(ディクシャ)とは、宇宙的な普遍エネルギーを通じて、真の内なる聖なる存在(人によってそれが神仏であったり、あるいは自然であったり、宇宙であったり、内側の高次の自分という風に解釈する人も居る。)に気付かせ、絆を太くすることで、外側の変化よりも、内側の深い部分での体験・洞察が自動的にできるようになっていくワーク。私たちも東洋医学的にも「人体は小宇宙」とされていますが、私たちの大元のエネルギーを、インドのカルキというアヴァターを通じ、エネルギー伝授されたディクシャ講師たちが、自分たちで気を練ったり、気を放出するようなことがなく、単なる器に徹し、第三者にその宇宙の大元のエネルギーを流し、内側の意識の変革をサポートする、エネルギーワーク。宗教は全く関係がなく、どのような宗教があっても、全く逆に神仏の存在を否定していたとしても関係はない。詳しくはプレマのH.Pを参照。)

Mちゃんは元々人間っぽい子ですが、(うちのクリニックに来てくれる子はなぜか、人間っぽい子が多いのですが)心なしか成長がみられていました。彼女の中で思いがまた形になってきたようでした。

Mちゃんはコミュニケーションの予約を取って頂いたことはないのですが、とにかく子犬のときから知っているせいか、私には思ったことを素直にはっきりと話してくれます。おしゃべり好きな子なので、こちらが尋ねてもいないようなことや、感じたことをそのまんま言ってくれるので、私もほほえましくて仕方がありません。

子犬時代から知っているような子で、ずっと定期的にご縁のある子は移転してきたこともあり、関東では少ないのですが、それでも数少ないながら事例はあります。でも、保護者の方に日頃感じているちょっとしたプチ不満や、来ている間に「難しい話ばかりで退屈だから散歩にいきたい」「おしっこは匂いかぎが終わったらしようと思ってたのに、(保護者の方が)おしっこを早くしなさいって言うから・・・気分悪くなっちゃった!<他のところにおしっこをしちゃいました>」「ごはんが少なくて食べた気がしない」など、次々に勝手に話してくれるので、おかしくなってしまいます。(笑)小さい頃からうちに来馴れていることと、
Mちゃんの明るい性格がそうさせるのでしょうが、コミュニケーションでも1時間こんなにフル回転というくらい、話してくれる子は彼女ともう1頭成長期の頃から知っている子がいるのですが、その2人くらいだと思います。

彼女たちをみていると、「そうそう!本来は人も動物もこうなんだよね。」と思ってしまいます。多くの場合、人も動物も(人間の)大人の影響を色濃く受けていきます。「子供の頃はもっと分かりやすかったのですが・・・あまり感情を表に出さなくなりましたね。大人になったんでしょうか?」という子も少なくありませんん。もちろん、本当に成長している子もいますが、それが保護者の方の顔色をみていった結果だったり、同居犬(人間の場合兄弟など)の反応や顔色をみた結果だったりすると、ワンネス・ディクシャ<エネルギー・ワーク>をしていくと、そういう子は、ものすごく素直に変化していくことも少なくありません。
変化というと御幣があるのですが、ありのままの自分でいいんだと自分で納得してしまえるのです。それが人間の大人より早いのが、子供や動物たちです。

自分を肯定している子(真にありのままの自分を受け入れている子)は、自然と他者に対して寛容になります。もちろん、これはディクシャを受けていかれる中で、人間の大人である保護者の方も体感されていく方が多いようです。自分さえよくて、他人に攻撃的になることや、逆になんでも自分のせいにしてしまうことのいずれも、真に自分をも肯定できていないということなのです。

彼らは、純粋ですが、Mちゃんのように私を信頼してなんでも話してくれる子は、あまりストレスも持続しないことが多いので、その昇華力は、
私たちも見習うべき点があります。いいことでも、悪いことでも、結果はそれは当事者のジャッジに過ぎない・・・大切なことは、それらがいいことであっても悪いことや自分にとって都合のよくないことであっても、否定せず受け入れる、苦しむこともあるかもしれないけれど、できれば逃げずに体験していく・・・これが子供の頃は私たちも自然にやっていたことなのです。悲しい時は思いっきり泣く、怒りたい時は素直に怒りも表現する、うれしいときは思いっきり飛び跳ねて喜ぶ・・・私たちはこれらを子供の頃、「こうしなければならない」と考えて、行なっていたでしょうか?決してそんなことはないはずです。その結果、もう次の日にはお友達とも仲直りして、また遊んでいたはずです。

感情を結果に縛られず体感する、味わうことの大切さを、私たちは改めて彼女たちに教えられています。

Mちゃんの素直さが生涯続くことを、私たちも願っています。
そしてMちゃんのように、自分の感情をまずありのままに受け入れていける子たちが、今日も増えてくれることを願ってやみません。
【2007/03/10 00:50】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2) |
鏡磨き(1) 〜母乳育児のはじまり〜
先月は出張が重なり、更新が遅くなってしまいました・・・。
新しい章のはじまりです。
いよいよ私が息子を出産し、育児を始める頃に話しは遡ります。
どうかこれを読んでいって、人と人の間も動物たち同士の間でも、母子間(あるいは何らかの事情で母と死別や離別をしてしまった場合は、母親に代わる存在と)のコミュニケーションが、パーソナリティの土台となるうえで、とても重要であることを感じ取って頂ければと思います。

私は息子を母乳だけで育てようと思っていました。
私は根本的に身体が丈夫ではありませんでした。それは、いくら食事を整えても、化学薬品をやめても、(もちろん病気にかかりにくくなったことは事実ですが)土台の身体については、ときを遡ることができなかったからです。「免疫力の基本は母乳にある」それは、コンパニオン・アニマルたちをみていても全く同じことでした。

早期に離乳した子ほど、免疫力は低く、コンパニオン・アニマルにおいては、実際に離乳するということは、母犬自身との離別をも含むため、離乳期・幼少期の納得がその子自身でできていないうちに新しい家に来ることは相当な不安を伴っているということを、みなさんに改めてお伝えしなくてはなりません。実はこれは人間の子供でもやはり同じことが言えるのです。

私が本能的に母乳にこだわったのも、離乳期に母子双方の離乳がスムーズにいっていない場合、いわゆる「母乳不足感」というものは、大人になっても残ってしまうことが多く、精神面でも不安定になりがちであるということを、私たちが種別を超えた部分で、経験から感じ取っていたからです。

ただ、今から考えると、なぜあんなに母乳育児にこだわったのか、当時の私は胆嚢・すい臓が悪かったにも関わらず、体に負担をかけてまでなぜ母乳に固執したのか、それ以外のところではうまく説明ができません。ただただ、理屈は後付けのような気もしますし、実際には「母乳で育てたかった」という本能的な部分が大きかったのだと思います。

私は出産前、「出産すれば誰でもおっぱいはスムーズに出るものなんだ」と思い込んでいました。日頃、動物たちと接しているせいか、それが自然の摂理なんだと思い込んでいたところがありました。ところが結果は全く違っていたのです。これからご結婚される方、妊娠・出産を控えている方にもお伝えしておきたいことは、バストとおっぱいの違いについてです。

私はバストが大きいほど、母乳も出やすいのだと思い込んでいました。ところが、元々大きいバストの私にとっては、母乳が出にくいおっぱいであるということが分かったのです。実際、おっぱいは「血液」で作られています。母親の血液が乳道を通じて、おっぱいになっていくのです。しかしながらその「乳道」はバストの大きい人ほど長いのです。ですから、おっぱいが作られて実際乳首の「乳孔」(おっぱいが出てくる穴)に届くまで時間がかかります。その間に詰まったり、赤ちゃん自身の吸う力が弱いとそこまで辿りつくまでに至らないこともあるのです。逆に小さいバストの人ほど、乳道(おっぱいの道)も短いですから、おっぱいが出やすいのです。

まだまだ「バストは母性や女性らしさの象徴」だと思われていて、男性にとっても、女性にとっても「ある程度、バストにボリュームはあった方が・・・」と考える人が、未だに多いかもしれません。しかしながら、当の本人は、バストのおかげで満員電車では細心の注意を払わねばならず、夏場は外でもなかなか露出の高い服も切れず、下着代は高く、その割りにかわいいデザインがみつからない、年中肩こりがひどい・・・そんなコンプレックスでいっぱいだったのです。

それに加え、いざ子育てで「いっぱいおっぱいがあげられて、やっと大きいバストの力量が発揮できる」と思いきや、実際には小さめのおっぱいの方が、母乳育児向きのおっぱいだったのですから(誤解のないように申し上げておかなくてはなりませんが、おっぱいの大小だけで母乳がスムーズに出る出ないに関わっているわけではありません。種々の要素が絡み合っています。ただ、バストの大きさ的なことでいえばということで、どちらかというと・・・ということです。)・・・。

当時の心境は、正直、言い表せないくらいのショックでした・・・。プレマにも「そのうち出るよ」と言われて、「そうよね。初産なんだから最初からそんなに乳管も開いてないんだものね。」と大丈夫な自分を装っていました。でも、本当は何もしてあげられないという事実は、かなり私を当初、自虐的に追い込んでいきました。

しかしながら、私のように大きなバストの人間でも、母乳育児をしたいという心からの思いと、あきらめない執念(?)と、子供の協力の二人三脚で、2歳前までミルクを飲ませることなく、母乳だけで頑張ることができたのです。・・そのエピソードは、次回にご紹介したいと思います。
【2007/03/10 00:06】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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りえこ先生のブログ


プレマ動物ナチュラル・ケア・クリニックのりえこ先生のブログです。

プロフィール

プレマリエ

Author:プレマリエ
ホリスティック(ナチュラル)・ケア主体の動物クリニックを、獣医師の夫と共に営んでいます。私は動物の心・魂からのメッセージを、ご家族にカウンセリングを交えてお伝えする、アニマル・コミュニケーターをしています。また、2005年に南インドで研修を受け、魂の前進・解放を促すエネルギー・ワーク「ワンネス・ディクシャ」のインストラクターになり、セミナーも開催しています。人と動物の種別を超えた絆、人や動物たちが本当に幸せになるために、魂的な前進をしていくために、私たちが、どのように生きていくことを自覚していけばよいのかなども、お話ししていきます。どうぞよろしくお願いします。

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