ブレイク・タイム(3) 〜ワクチンでも決して予防できない伝染病 「いじめ」 〜
私も実は、幼稚園時代、そして小学校1年生から4年生くらいまで、そして中学の2年のとき、いじめにあっていました。今こうして話すと、クライアントさんからは「りえこ先生が?」あるいは大学の友人や、会社時代の元同僚などには「りえこが?そんなの信じられない・・・。全くそういう陰がないじゃない?」と言われます。でも、よく私も命を絶たなかったなというくらい、いじめられた経験はたくさんあります。その私が話すのですから、ほぼ次のことについては、間違いない部分があると思います。

「いじめは悪いことだから、いじめるな!」というのは、大人の理屈です。子供には通用しないのです。「いじめるな!」という注意だけでは、その子がなぜいじめをしてしまうのか・・・その事実は永遠に闇の中です。

その子もかつていじめられたからかもしれません。あるいは、家庭でのストレスがあるのかもしれません。勉強についていけていないのかもしれません。単なる興味本位・遊び半分・ノリなのかもしれません。自分がいじめに加担しなければ、自分がいじめられてしまうからかもしれません。大人社会でもいじめ・・・と呼ぶかどうかは主観なのかもしれませんが、似たような事実はあると思います。いずれにしても、大勢で1人をからかったり、仲間からはずすというのは、やはり、いじめ以外の何ものでもないと言えるでしょう。

大人がそんな状況にありながら、子供たちだけに「いじめは悪いことだから、やめなさい。」というのは、理不尽な気がします。たとえ最初は冗談のつもりでも、言われた方は相当傷つくものなのです。いじめは、たちの悪い伝染病です。これにはワクチンも何もありません。

私は動物の魂や心と対話をする、アニマル・コミュニケーターでもありますが、最近、ペットも子供たちと同じように自尊心の低い子が増えていることにも気付いています。「私なんてどうせダメな子だから・・・」突然、そんな子の声を拾ったことがあります。
なので、保護者の方に聞いてみると、お母さんもお父さんもその子に対して、「アホ!」「バカ犬」と言っていたというのです。お話をお伺いすると、ご夫妻には全く悪気はなかったのです。あまりにもお客さんが来ると、しつこくその人に甘えて舐めまわし、大変なので、つい度々そう言ってしまっていたというのです。

強い口調で言ったことはなく、からかい半分だったのに・・・と・・・。「ごめんな、悪かった。」と、保護者の方はワンちゃんに謝っておられました。彼女は「アホ」とか「バカ」の意味をよくは分からないけれど、自分に対してよくない感じの言葉だというのは分かっているようでした。だから自分を「ダメな子なんだ」と思い込んでしまっていたのです。

こういうこともありました。
「僕は男じゃないってバカにされるんだ・・・」これは、去勢した男のワンちゃんの悩みです。どうも、外を歩いていると、去勢していない男の子からバカにされると言うのです。「そんなことってあるの?」と私もちょっと初めて聞いたときは不思議でしたが、その子だけでなく、何頭もそういうことを告白してくれる子がその後も居たのです。
やはりご家族の方に聞くと「確かに・・・去勢をしてからというのは、
いわゆる去勢をしていない犬から、乗られたり(マウンティング)、吠えかかられたりが増えました」と一様にみなさんそうおっしゃることが多いのです

避妊去勢については、保護者の方やその子の環境にも左右されることなので、私たちはいいとも悪いとも一概に言い切ることはしていません。
ただ、やはり男性意識に強いこだわりやプライドを持っていた子は、去勢後にそのことがストレスになっていることも多いようです。そうした場合もきちんとカウンセリングを受けて頂ければケアの方法はあるのですが、多くの場合、「おとなしくなったから」ということで、保護者様の方で気付かれないことも多いようです。
でも、ひどくなると散歩自体、嫌になる、他の犬とのコミュニケーションがうまくいかなくなるということも実際ご相談があったこともあります。彼らにとって、人間の言葉は言霊であり、犬同士のサインも気持ちとして伝わってくる情報です。

10年ほど前、話題になったと思いますが、水の結晶でも「ありがとう」「きれいだね」と前向きな言葉を言われた水の場合、とってもきれいな結晶ができます。ところが、「大嫌い」「バカ・アホ」「お前なんか最低」などのネガティブな言葉を水にかけたり、水を入れたボトルに
そのような言葉を貼り付けたとき、水の結晶はぐしゃぐしゃになっています。水も生きてちゃんと感情を受け止めているんです。
植物もこの点では同じことが立証されていますので、
ましてや動物たちが、その言葉や態度に傷ついていないと思うほうが、
無理があると思います。

私も、姉や母になにかにつけて「トロ子」「ドジ」「アホ」「間抜け」と散々な言葉を投げかけられて育ちました。もちろん今では姉とも母とも仲良しなのですが、そのときの姉や母のの心理状況を私は察しられるほど、大人ではなかったので「なんで、いつもお母さんや、お姉ちゃんは、私にきつい言葉を言うのかな?」と、そう思って真剣に悩みました。「私のこと、お姉ちゃんは嫌いなのかな?お母さんは、お姉ちゃんの方が好きなのかな?私は嫌われてるのかな?・・・」本気で考えたこともあります。そんな事例は動物に対しても、人に対しても、本当にたくさんあります。

このように自尊心が低く育てられた子供や人と暮らす動物たちは、自分を他者と比べて、劣った存在だと思いがちになってしまい、何に対しても失敗や周りの反応をを恐れてしまい、次第に自分の意思ややりたいことを、公然とできなくなってしまう場合もあるのです。どうか、子供さんがいらっしゃる方、今動物と暮らされている方は今一度、向き合い方を見直して頂ければとても嬉しく思います。

関西では、お笑いネタで、自分を貶めても笑いを取るということが、子供たちの間でも定番になっているふしがあり、「いちいち傷ついてられへんよ。笑わせるタメやねんから。」という風潮がありますが、これは、地域的なものに関わらず、例えば、「デブ」とか「ブス」とか「きも〜」などと言われて、自分も笑っていなければならない・・・そういう環境に親御さんは、本当に自分の子供をおきたいと思われるでしょうか?子供の場合、集団によるいじめの多くは、きっかけは特に小学生以下では、外見的なところからという部分が大きいように思います。

私も小学生のとき、前歯が大きかったので「ビーバー」と呼ばれたり、色黒だったので「ナ○○ロ(商品名)」と呼ばれたりしたこともあります。ただ、その頃には、性格的にも外向きになっていたので、言った男子を逆に追いかけてやっつけたりもしていました。(笑)そのように、いじめの対象となる場合、最初は外見的なことからのことが多く、次に、そうからかわれたときの対応・・・つまり、性格的なものということになると思うのです。(私も低学年ではいじめられていましたが、高学年では逆にそれが愛称として慕われていたということがありました。でも本人は内側では傷ついていたんですよ。<苦笑>)なので、またどこかで書くかもしれませんが、このことがきっかけで、10代後半になってから私は、自分の外見の大改造を実行していったことがあるんです。(笑)意識が外側に向いていた証拠なのですが、今から振り返ると若気の至りです。(苦笑)

確かに、太っている子でも、決して美形ではない子でも、クラスの人気者という子もたくさんいると思います。そういう子は、内側では分かりませんが、少なくとも外側は明るく、動じにくい性格なのだからだと思います。しかしながら、だからといって、ここで間違ってほしくないのは、「だから、いじめられる方にも原因があるんだ!」と言うのは大きな間違いだということなのです。集団意識というのが、そもそも人の長所でなく、自分たちとはちょっと違う異質な存在として、特定の部分や人に目を向けさせる環境になっていることこそが問題なのだと思います。

いじめについては昨今、大きな社会問題にもなっていますので、この続きはまた改めて、スペースを割きたいと思います。
また、言葉の使い方についても、近日とてもいい情報を入手しましたので、ご紹介したいと思います。
【2006/11/17 11:06】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4) |
ブレイク・タイム(2)〜信じたくない大人と、信じてみたくなる大人の違い〜
少しだけ、話を前に戻します。
既にお話しましたが、ケミは、私が3年生のとき、17歳という当時ではかなりの長寿で他界しました。しかしながら、最期は、舌ガンという形で、口からもかなりの出血が起こり、苦しんでいる日々が続く中、両親は「安楽死」という選択をします。私はそうした決断に至った経緯を一切聞かされていなかったため、本当に今で言う、ペットロスに陥ってしまったのです。勝手に命を封じた、大人たちの決断に最期のお別れや、御礼さえも言えなかった悔しさ、悲しみが私に大人への不信という形でバリアを作ってしまったのです。

私は、現在でもカウンセリングをさせて頂くとき、親御さんにはこのようにお願いすることがあります。「お子さん(あるいはコンパニオン・アニマルの場合も同じ)には、決して嘘をついたり、ごまかしたりをしないであげて下さい。」と・・・。もちろんこれは、人間の子供たちだけでなく、動物たちに対しても大人の対応をみていること、その影響がとても大きなものであることだといえるからです。

例えば私のようなケースでも、子供は子供だから、(あるいはコンパニオン・アニマルの場合は、コンパニオン・アニマルだから)よく分からないのだから傷つけるようなことをみせたり、話したりしないで済むなら、それに越したことはない。そう大人は考えがちです。

それだけではありません。それは例えば安易な約束である場合もあります。「明日、○○しような。」「今日後で、△△に散歩に行こうな。」と行ったりすると、子供も動物も期待をします。それは純粋な期待です。しかしながら、大人側の都合で行けなくなったり、中止になったりすることもあるでしょう。往々にしてそういった約束は、子供にとっても、動物たちにとっても、ことごとく裏切られがちになることがあります。そうすると、子供の場合も、動物たちの場合も「ああ、またか・・・」と次第にあきらめていきます。そうして彼らは思うのです。
「大人はあてにならない・・・」と・・・。

確かに、大人ほど、子供は理屈による理解が得意ではありませんし、大人の理屈を理解できないこともあるでしょう。でも、たとえそうであったとしても、子供なりの向き合い方、理解の仕方は必ずあるのです。
そこを誤魔化されてしまうことが、親と子供、あるいは保護者と動物の
間にひびを入れてしまうことがあるのです。
「動物の場合は、分かってないでしょう?」と言われる人もいます。確かに言葉や理屈で理解しているわけではありませんが、彼らだって、楽しみにしていたことがキャンセルされたり、例えば自分だけに知らされない事実があって、それを後で知って傷つく心は持っているのです。

私の小学生の頃を振り返ってみても、どう考えても、無類の動物好きの小学生に、ずっとずっと一緒に暮らしてきた子に対して、安楽死を肯定しろというのは理不尽なことだったかもしれません。でも、子供側としては、両親や伯母たち、大人の家族が必死で、そうなることの経緯を説明して欲しかったのです。一緒につらくとも、病院に付き添いたかったのです。できることなら、お家に一緒に連れて帰ってあげて、お礼を言って、抱きしめてあげてから、お家でお葬式をしてあげたかったのです。その思いは、本当に長く長く私の中にも残ってしまうことになってしまいました。

大好きだった両親に対して、あのとき初めて「不信」を抱いたということも事実です。もちろん、私は愛情をいっぱい注いでくれた両親が、今でも大好きですが、あの頃の理恵子は、大人の取った選択肢に対し、納得できていないままに、長い間悩んだのだというのもまた事実なのです。もちろん、今ではあのことがあったからこそ、こうして、微力ながらも動物たちに、家族の方々に、1つでも選択肢の窓口を広げることのお手伝いをすることができているのだと思えています。ケミにはいくら感謝しても足りません。

ケミの安楽死を知ってその日から、食べられない、口がきけない・・・そんな状態が続きました。でも、子供なりの方法で、お話したとおり、乗り越えていくことができました。ケミが亡くなってから、私はその外側に支えてくれた友人達の存在を思い、少しずつ少しずつ、意識が外側へ関心という形で広がっていくようになりました。

それまでの内向的だった性格から、私は高学年になる頃には、徐々に外交的な性格に変化し、友達も信じられないくらいに増え、6年生になる頃には、クラスの中心にいるほどになっていました。これには、5、6年生を受け持って下さったW先生の存在も大きかったと思います。

W先生は本当に素晴らしい先生でした。体罰もありの先生でしたが、暗さ・陰湿さが全くないのです。「一瞬すごく痛いけどすぐ終わる罰と、全然痛くはないけど、長時間で忍耐力のいる罰、どっちがいい?」などと、子供に選ばせます。もちろん、私も体罰は基本的に反対です。でも、1口に叩くのが悪い、叩かないのが良いと言い切ってしまうのでなく、叩かれなくても愛情がそこになければ、もっとハートが痛いのだということ、これはみなさんもご経験があるのではないでしょうか?

先ほどの、W先生の罰なのですが、1つは両手でばっちんとやられる顔面ビンタです。あとの1つは黒板に小さな点を描いて、それを授業が終わるまでみつめておかなくてはならないという罰だったんです。子供って純粋なので、後者の方でも適当に視線をはずすことなくじっとみつめてしまうんですよね。するとたいてい15分もすると気持ちが悪くなってきます。

「先生、ちょっと気分悪いんだけど」と言うと「そうか」と言って、少しだけ丸くして、点を大きくしてくれます。子供たちも罰なのですが、半分楽しみながらやれていました。ビンタもさすがに女の子には少し加減をしてくれます。男の子の中には、目立ちたくて(みんなの前でみんなの方を向いてビンタをされるのですから)わざと、怒られることをやっていた子もいました。でもそれを「先生やりすぎ!」と思う子はおそらく1人もいなかったと思います。なぜなら、先生は子供たちと体当たりで向き合っていたからです。それが愛情として伝わっていたからこそ、子供たちはいつも「Wセン」という愛称をつけて、平気で先生を呼び捨てにもしていました。

Wセンは、クラスでいじめがあっても一方的にいじめた方をつるしあげることもなく、必ずクラス全員で考えるようにさせていました。大切なのは「いじめた」という事実だけを叱ることでなく、「なぜいじめになってしまったのか」ということを子供たちに考えさせていったのです。
どんな小さな問題でも、「このクラスで1人でも悩んでいる、傷ついている、苦しんでいる人がいるなら、それはみんなで考えてあげるべき問題じゃないか?」という教育方針でした。こういう方式は、日頃から、
生徒と先生の間の信頼関係ができていなければ、取り入れることが難しい方法です。信頼関係の無い中で、こんなことをしても「うざいよ」「はあ?私たち関係ないし!」などで終わってしまいます。

W先は、学習能力や態度だけでなく、一人一人個人の性格・趣味・最近はまっていることやその子に起こっている出来事などを、本当によく把握していました。W先は、1日のうちで必ず40人の生徒1人1人に話しかけをし、私たち一人一人と向き合っていたのです。卒業式ではみんなが泣きました。おそらくW先と、そしてW先と過ごしたこのクラスを、学校を離れたくなかったからだと思います。

私はカウンセリングをしていて、子供たちと動物たちの共通点をこう思います。「みんな私だけ、僕だけに向けてくれる時間と愛情を求めている」ということです。時間の長さではないのです。たとえ少しでもいい、精一杯「私は、僕はこの瞬間愛されているんだ。」と思えることが、何よりの人を信じる心と自信に繋がっていくのです。

仕事が遅くなって、遊ぶ約束が守れなくても、言い訳を先にしないであげて下さい。茶化したり、誤魔化したりしないであげて下さい。
それがどれだけ重要な仕事でも、その理屈は彼らには通用しないこと、
子供のときに帰って思い出してみて下さい。

そして先に「ごめんね」と謝ってあげて下さい。そして「今日は遅いから早く寝なさい」ではなく、子供ならその子の興味のある話をして、少しだけ夜更かしに付き合ってあげて下さい。

わんちゃんであれば、お散歩に付き合ってあげて下さい。猫ちゃんなら、少し遊びに付き合ってあげて下さい。動物たちの場合、散歩や遊びの気分で無いなら、あなた様のチャンネルをオン状態から、オフに切り替えてから、ゆったりとした時間をもちましょう。彼らは気の流れにとても敏感です。そんな中で、分からなくても構いません。「今日、1日どうだった?」と聞いてあげて下さい。彼らは聞かされることは日常的にあっても、聞いてもらえることはまずありません。リラックスした中で、たとえ理解してもらえなくても、聞いてもらえる雰囲気を作ってもらえ、向き合ってもらえたことで、彼らの表情がとても穏やかで満ち足りたものに変化することを、保護者の方は実感されると思います。

信じてみたくなる大人は、みなさんが子供の頃に思い描いたヒーローかもしれません、あるいは童話や民話の中の賢者かもしれません、そして私のように身近な先生や、大人だったかもしれません。

そのことを思い出すことだけでも、きっとみなさんの中でも、煩雑になりがちな日常を、振り返り、子供や動物たちとの接し方に工夫をされてみる余裕が出てくるかもしれません。



【2006/11/15 12:33】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(9) 〜代替医療への第一関門〜
後から聞いたところ、主人からみた私の第一印象は、「なんて顔色の悪い不健康な人なんだろう?」という印象だったそうです。正直、かなりウェイト・オーバーしてしまっている今とは(笑)、比較にするのも恥ずかしいくらい、痩せ型で、食べても太らない体質で、10代の頃から人には羨ましがられていました。でも、当時、見た目にいわゆるスタイルがよい状態であっても、実際には病気のオンパレードだったのです。プライベートで、相当ストレスを抱えていた私でしたが、外にはそういうことをみせていないと思っていましたし、実際、そんな私に気付いたのは彼が始めてだったと思います。

まず彼が試したのが「○足法」という中国の足裏健康法です。
足裏の経絡に沿ってリンパを専用の棒で刺激し、その後、お湯を解毒のため600CC飲むというものでした。それを1日2回、半ば矯正的に行なっていました。

その足裏の刺激ときたら、もう痛いというどころではありませんでした。痛すぎて声も出ない・・・そんな状況だったのです。彼は痛いと言ってもやめてはくれません。そんなスパルタに3か月もした頃、あれだけ固かった足裏が赤ちゃんのように柔らかくなっていることに気付きました。もうゴリゴリされても痛みもありません。気がつけばその3ヶ月の間、膵炎の発作が一度も出ていません。こうして私はホリスティック・ケアというものを、身をもって初体験したことにより、代替医療(ホリスティック・ケア)というものに、自分自身も興味を抱き、主人と共に探求していくことになるのです。
【2006/11/13 00:45】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(8) 〜互いの思い〜
B君・・・つまり、主人と一緒に仕事をするようになってから二ヶ月目に、むこうは、私に思いを打ち明けてくれ、結婚を前提に付き合って欲しいと言われたのです。しかし、職場において、主人は新卒で入ってきた期待の獣医師だったのです。しかも、職場では私の方が2年先輩で、年齢は同じですが、学年は早生まれの私が、一年彼よりも年上になります。いろいろなことを考え、私は「もっと、いろいろな人をみた方がいいよ。あなたは、今、学生から社会に出て新しい環境で、私に合って、学生時代とは違う刺激を感じているだけだと思うの。社会人として、これから沢山の出会いがあるから、私なんかで妥協しなくてもいいのよ。」とも促しました。それでも、主人は「たとえ結果がNOでも待つから・・・。」と言ってくれ、事実待っていてくれたのです。

私がどんなに頑丈なバリアを設けても、すり抜けて入ってきてしまう、断っても断っても、めげずに待ち続けてくれた主人に負け、結局、私もそんな主人のまっすぐさに徐々に惹かれ、付き合うこととなったのです。

当時の夫は本当に私に恋してくれていたと思います。
ここで書くと大ノロケになってしまうような、気恥ずかしくてたまらないと思うくらいに、私のことを大切にしてくれましたし、有給を取ってまで、私の出張先にまで追いかけてくるというほど思い入れてくれていました。
(「あのときは、俺もどうかしてたな。ちょっと、いや・・・だいぶおかしかったと思う。」と言うのが、今の主人の談です。(苦笑))

その彼が私にこう聞きました。

「たった1つだけ望みが叶うとしたら何がしたい?何が欲しい?」

その当時の私は病気ばかりで、チャンスを潰してきていました。
即答でした。「丈夫になりたい。できるものなら、病気ばっかりしてきた身体をなんとかしたいよ。」そう言うと夫は「分かった。その願いだけはどんなことがあっても、一生かけてでも、必ず叶えてあげるよ。」そう言われたのです。それから、彼の私への様々なホリスティック・ケアが始まったのです。
【2006/11/13 00:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(7) 〜見透かされた内側〜
B君はA君と対照的にとても聞き上手な人でした。
いつしかA君に代わってB君が私のセミナーパートナーになっていました。当時の職場の同僚で、敏感な友人2人が「B君は絶対りえこのことが好きだよ」と言っていましたが、「彼は誰にでもやさしいよ」と私は相手にしていませんでした。他人のことには直感が冴える私でしたが、自分のこととなると、全くあてになりません。何をかくそうこのB君こそが、今の私のパートナーのプレマなのです。

ある製品のキャンペーン期間となり、通常よりハードに仕事をしていた私に、B君は体調を気遣ってくれました。しかしながら当時の私は、「強くならなければならない」と思っていたので、「しんどくなんかないよ。大丈夫!」と突っぱねました。するとB君は、「Uさん!(私の旧姓) 僕は獣医ですよ。獣医っていうのはね、もちろん、飼い主さんから問診はしますけど、彼らから直接話を聞けるわけではないんですよ。だから、モノが言えない動物たちの気持ちを汲み取ってあげて、彼らの出しているサインに気付いて診てあげられないといけないんですよ。だからはっきり言います。あなたは今、究極にしんどいはずなんですよ。」と言われたのです。的を得た反応に私は反発しました。しかしながら、そんなことを言われたことは初めてだったのです。

「お前って結局、何考えてるかわからんよな?」長く付き合っていた彼にも、そう言われていました。同僚にも上司にも、しんどいことはできるだけみせずに来ていました。私の中では、おそらくこのときもう、「私に必要な人は彼なんだ」と思えていたのだと思います。
【2006/11/13 00:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(6) 〜新たなる出会い〜
父を失い、最愛のパートナー犬だったミルまで失い、私は「いったい、なんのために生きているんだろう?」そんなことさえ思うようになっていました。どうしてもっと早く、父のサイン、ミルのサインに気付いてあげられなかったんだろう?結局、私たち女家族は、自分のことしか考えていなかったんじゃないの?そんな自問自答を繰り返していました。

しかしながら、会社の同僚を含め、得意先だったペットショップのスタッフやオーナーさん、お散歩仲間の人たちから、お悔やみや励ましのお手紙や、お香典、お供えを山ほど頂く中で、「ああ、なんてミルは愛されていたんだろう。」そう思えることで、「彼の死を無駄にしてはいけない。いつも傍にいてくれるのだから、彼に恥じないように、動物たちのために頑張っていこう」そう思い、ペットロスに陥らずに一歩を踏み出すことができたのです。今でも、あのとき支えてくれた人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。そんな中、父の一周忌を向かえ、「もう、歩き出さないといけないんだと」いう思いが湧いてきて、父やミルに対して「泣かないからね。」と、そう決めたのです。

父の一周忌法要を日曜日に済ませたものの、本当の一周忌は実はそれから5日後のことでした。そのまさに本当の一周忌であるその日、私の会社に新たに入社してきた人が2人いました。2人とも新卒の獣医師でした。

お調子ものでありながらA型気質そのもののA君と、口数の少ない、超マイペースなB型気質のB君でした。当初A君と仕事をすることが多くなった私でしたが、あるときB君と突然仕事を組むことになったのです。

(なんか、私この人、ちょっと苦手なんですけど・・・。)これが私の正直な当時の感想でした。仕事相手としては、会話の弾む相手の方がやりやすいものですが、私はBくんが入社して2か月の間、ほとんどまともに話をしたことがなかったのです。(まあ、仕事だからなあ・・・仕方ないよね。)そう思ってペアでセミナーをしました。すると(えっ?なんでだろう?A君とよりやりやすい・・・。)そういう、なんとも言えないぴったりとした「呼吸」を感じてしまったのです。
【2006/11/13 00:06】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(5)〜ミルの死〜
ミルはそのとき3歳。柴犬の男の子でした。本当に柴犬とは思えないほど人当たりもよく、誰にでも愛想がよく、犬同士も仲良く和を乱すことなく遊べる子でした。ですから、ペット関連の会社に移ってからは、よく営業先にも助手席に乗せて連れていったほどです。しかしながら、私が出張で数日家をあけただけで、神経性脱毛になるほどナイーブな子ではありました。

その日、私たち家族3人共に、別々に予定があり、いつも仲良くしてもらっていて、広いお庭がある、Iさんのお宅にいるちーちゃんと遊ばせてあげようと、朝Iさんのお宅にミルを預けたのです。もちろん、Iさんのお宅にミルを預けたりすることは、父が入退院を繰り返すようになってからは、よくあったことなのです。Iさんもとても犬好きな方ですし、ちーちゃんとミルもとっても仲が良く、家族同士行き来もあるご家庭でした。

私が出掛けようとして、相手と電話で話していたそのときでした。「Uさん!!(私の旧制)Uさん!!大変なの!ミルちゃんが・・・ミルちゃんが・・・」と、すごい勢いでミルを抱えたまま、ちーちゃんのお母さんがやってきました。「いったいどうしたんだろう?」と下に降りてみると、ミルは、ちーちゃんのお母さんに抱かれたまま、ぐったりとして動きません。

「ミル?ミル・・・?どうしたの?いったいなにがあったの?」
そう言ってもなんの反応もありません。ただごとではないと感じた私は、すぐに姉と病院へ連れて行きました。ちーちゃんママの話では「キャン、キャン、キャン」と3回鳴く声がしたので庭に出ると、倒れていたそうです。結局ミルはそのまま、亡くなってしまいました。原因不明の突然死です。私たちは父の死の悲しみから立ち直ることもできないまま、また最愛のミルまでも失ってしまったのです。

私はどうすることもできず、ミルの亡骸を抱いて病院から自宅まで戻りました。私は何時間もミルをずっと抱いたままでした。いつまでも温かいままのミルに走馬灯のように、短い間の彼と過ごした日々を思い出していました。どうしても信じられない・・・そんな気持ちでいっぱいでした。涙が後から後から出てきて止まりません。

私を心から受け入れてくれ、愛してくれる存在だった二人を失い、同時に母と姉を支えていた私は、心の行き場と平衡感覚が崩れていくのを感じていました。
【2006/11/12 11:06】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(4)〜父亡き後に・・・〜
父が亡くなってから、なぜか時間がゆっくり流れているのを何度も感じました。「ああ、この空気、お父さんが作ってくれているんだなあ」と何度も感じました。今まであくせくブレーキもふまずに、仕事だ、なんだと走り続けていたことが、急にばからしく思えてしまっていましたし、何をする気力もなくなっていくのを感じていました。しかし、普段気丈な姉はもっと気持ちが保てない状況になっていたのでした。

仕事や私生活での大きなショックと転機があり、姉は父の他界とそのことが重なり、10年近く勤めた、大好きなアパレルの仕事も辞めてしまいました。姉は才能ある人で、販売実績も、そのブランドのショップとしては、全国でベスト3に入るほど、売り上げをあげるほどでした。小さな頃から、いつも強気で、頭もよく、運動もできて、何でもできるスーパーお姉ちゃんだった姉が、一回り小さくなって、家での食事が取れなくなってしまったのです。

仕方なく朝私が出勤前に、喫茶店にモーニングを食べに連れて行くのですが、パンには手をつけようともしません。とりあえず飲み物だけでも飲ませる・・・そんな生活をしていました。母も父を失って冷静さを欠いていました。ですから、抜け殻のようになってしまった姉を責め、「悲しいのはあなただけじゃない!!」そう言って、母と姉の仲も険悪になっていっていました。私はゆっくり父の死を悲しむ余裕さえなくしていきました。「私だけでもしっかりしとかないと、この家がめちゃめちゃになってしまう」そう思っていました。私の当時の心のよりどころといえば、パートナー犬のミルだけでした。実際、付き合っていた人もいましたが、精神的にナイーブな人だったので、力にはなってくれましたし、今でももちろん、感謝はしていますが、そのような状態の私を、丸ごと受け止められるほどの強さのある人ではなかったというのは事実でした。私の抱えている色々なものを、ミルはきっと感じ取っていたのだと思います。
【2006/11/12 10:50】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(3) 〜父の死〜
実家が核家族となって、半年余りして私は病気になりましたが、
実際、私の両親は糖尿病で、父はインシュリン依存型になっていました。主治医にはよく言われました。「あなたのところはお姉ちゃん以外、誰かがいつも入院してくる状況じゃないか?」と・・・。
そのくらい、父と母という具合に入退院を繰り返していた時期に、私まで入院したので、先生にそう言われても仕方がありませんでした。幸い、私は半ば強引に(?)退院することができましたが、あきらかに父の体調は下降気味でした。そして、父は母とのヨーロッパ旅行から帰ってきて、体調を崩し、とうとう糖尿病治療を主体にした病院に主治医を替え、人工透析が始まったのです。

体格のよかった父はどんどん痩せていきました。しかしながら、私はその当時それほど医学的な知識も、栄養学的な知識も、ましてや代替医療に関しての知識もほとんど持っていませんでした。私自身もいつ発作が起こるともしれないすい臓の病気を抱えながら、ペットフードメーカーに転職後は、更にハードな仕事中心の生活をしていました。

私が出張から帰ると父がいなくなっていました。聞くと入院したというのです。私はまたいつもの入院だとタカをくくっていました。しかしながら父は入院して3カ月で亡くなってしまったのです。途中から、咽頭に浮腫ができてしまい、言葉を発することもできなくなってしまっていました。「お前が見舞いにきてくれたら、ちょっとは体調もましになる気がするよ。」それが私に投げかけられた父の最期の言葉でした。その時期、私は仕事のキャンペーン時期と重なり、休日も出勤して仕事にかかり切っていました。仕事、仕事って・・・完全看護とはいえ、もっともっとつきっきりで看病すればよかった・・・(父親とは過去世で恋人だったこともあると後で分かるのですが)、父と本当に仲がよかった私にとって、その別れは、今までのどんなつらいことよりも、大きなショックと悲しみを残すものとなってしまっていたのです。
【2006/11/11 07:24】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ブレイク・タイム(1) 〜フィルターはずし〜
私がどのような形で、内側の扉を再び開いていったのかというお話をこのブログで書いているわけですが、どうしても長くなってしまうので(笑)、要所要所でブレイク・タイムを取り入れていこうと思います。

よく「プレマ先生とりえこ先生は、本当に理想的なご夫妻ですね」と患者様やクライアントさんに言って頂くことがあります。そう言って頂ける事は本当に有難いことなのですが、おそらく私たちは家庭の中での夫と妻というカテゴリーだけの関係だと、相性はとっても悪いと思います。(苦笑)

アニマル・コミュニケーションやエネルギーワーク(ディクシャ)から、保護者の方の悩みのご相談へと発展するケースは、当クリニックや当センターの場合、決して珍しいことではありません。当然ご夫妻間の問題にも直面することはよくあります。

表面的にみていくと「なんでこんなに価値観の違う相手と結婚してしまったんだろう?」っていうことはよくあることです。でも少し視点を変えてみて下さい。私たちは「夫」や「妻」というフィルターを通じて、相手をみていないでしょうか?もちろんそれ以外にも「子供」や「親」、「兄弟姉妹」、「上司」「部下」「同僚」「親友」などのフィルターを、人と人との間につけてしまっていることはよくあることなのです。

それ以外にも、私たちは例えば「主婦」「○○ちゃんのお母さん」「○○会社の課長(他の役職も当てはまりますが)」「子供の学校のPTAの役員」「○○の先生」など、いろいろな肩書きを持っていることが多いのですが、それを通じて人をみたり、みられたりすることがないでしょうか?また、近しい関係ほど、そうしたフィルターを通じて相手をみているからこそ、腹立たしく思ってしまうことってないでしょうか?

たとえばこうです。「おい、ちょっと部屋を片付けろよ!」「私だって忙しいんだから、気がついたらやってくれればいいんじゃない?」「お前、主婦だろう?こんなこと言われて恥ずかしくないのか?」「私だって主婦だけをやっているわけではないのよ。それに、家に居る時間があなたより長いからって、どうして暇だって思われなきゃいけないの?あなたこそ、会社終わってからまっすぐ家に帰ってきたことがないじゃない?いったい何してるのかしらね!」「おいおい、俺は会社の課長だよ?部下を飲みに連れて行ったり、部長や役員の接待だってあるんだよ。」「なによ!自分ばっかり忙しいみたいに言わないでよ。私だってパートで働いていて、子供の世話だってあるんだから!」・・・よくある風景ですよね?これにいくつフィルターがついているかお分かりでしょうか?

特に夫婦の場合、結婚前はお互い別々の所帯で暮らしていますから、自分の土俵の中に相手が四六時中入ってくることは通常同棲でもしていない限りは少ないと思うので、日々の生活の中で感じるストレスを相手にダイレクトにぶつけることはまずないはずです。ところが、お互い同じ土俵の中となると、相手の発現や行動が直接的に自分にも影響することが起こってきます。そうなると、私たちはいつのまにかフィルターを通じて相手を判断するようになっていってしまいます。「夫らしくあって欲しい」「妻らしくあって欲しい」「父親らしくあって欲しい」「母親らしくあって欲しい」と・・・。

20年、30以上連れ添っていらっしゃるベテランご夫妻の方も読まれていると、たかだか10年選手の私たちが言うのも恥ずかしいのですが、まず結婚という意味を、これからご結婚を考えている方も、夫婦生活を営んでいる方も考えて頂きたいのです。

結婚とは、相手を変えようとすることでしょうか?相手に、妻らしく、夫らしくを求めることでしょうか?私たちも正直なところ、内側の気付きが訪れるまでは、相手をなんとか自分の価値観にそぐうように変えようとして、懐柔しようとして必死でした。でも、人はそう簡単に変わるものではありません。はっきり言って時間の無駄でした。(苦笑)

私たちの経験で得たこと、そしてハイヤーセルフ(聖なる存在)から、教えられたこととして、まだまだ完璧とはいえませんが、私たちなりに暗黙の了解で、出来る限り心がけていることがあります。
それは、1.「相手を変えようとしない」 2.「相手に期待しない」ということだけです。

これだけ聞くと、「なんなの?夢も希望も無いじゃないそれじゃあ・・・」と思われるかもしれません。確かに、浅い意識だけだとそう感じる方も多いでしょう。でも、これは逆に言えば「フィルターなしの状態で、ありのままの相手を、受け入れるための重要なポイント」になっていることなのです。

1はもう、はっきり言います。正直申し上げて無理です。(笑)理由は簡単です。人間、そう簡単に変わるものではないからです。2は1にも繋がることです。ほんの少し、相手に淡い期待を抱いても、まずそんなものは見事に打ち砕かれます。(笑) 夫婦や親子は鏡のようなものですから、相手に期待を抱く意図として、相手を変えようとする潜在意識がはたらくと、必ずといっていいほど、手痛くそれは裏切られます。まるで、それはそんな期待を抱いた方が悪いという形でやってくることが多いでしょう。そうなのです。私たちはフィルターを取り除かない限り、まず、相手をありのまま受け入れることがないので、それに気付くまで何度も内側の自分に試されます。

何のための結婚なのか、今の結婚制度では、正直未婚者が多くなるのも頷けます。長男・長女なんだから、1人息子・娘なんだから、と・・・まず、縁談が決まるまでも親の期待や家の存続のプレッシャーがあったり・・・いざ恋愛で結婚をしても、そのときは期待がいっぱいですから、新婚当初から、相手の改造計画が、お互いに色々な形で始まります。でも結局、それが無理だと分かると、自分のことを棚に上げて、相手を責めるようになります。そういうことがなぜ起こってくるのか・・・それは、結婚自体が、魂の大きなステップアップのための修行場だからと言えると思います。

「修行?どうして?お互い好き同士で結婚したのに、なんで修行なの?」そういうことを思う人もいるでしょう。確かに、修行というとつらい、まるで滝に打たれるかのような想像をされるかもしれませんが、結婚生活がつらくしんどい修行と思われるか、とっても楽しくて、こんなことが学べてラッキーと思えるかどうかは、やはりご本人たち次第なのだと思います。だって、少なくとも今、「○○ ○子」などという名前でやっている人生は、肉体の死を迎えれば、もう二度と同じ肉体、シチュエーションでやりなおすことはできないのです。そう考えれば、たかだか数十年なのです。その中で巡り合えた縁、とても素敵なことだと思いませんか?きっと、近しい関係性は、何百、何千回と生まれ変わっている中では、何度も関係性を変えてやり直している関係であることが殆どです。でも、今の肉体・シチュエーションは1度しかありませんので、その人生を嘆いて終わるより、楽しめて往生できた方が絶対にいいですよね?フィルターを通じてだけ、相手をみ続けていると、とってもその時間を浪費してしまうことになります。

夫婦・親子・兄弟・友達・嫁姑・上司部下・同僚同士・・・いろいろな関係性を、フィルターを通さずにみたとき、相手に受容的になれているご自分に気付かれたときから、あなたもたくさんの人に受容されている事実に気付かれるはずです。人間関係を整えることは、魂のステップアップの第一歩です。ご自分も、何かを通してでなく、ありのままの自分を受け入れて欲しいと願うなら、まずご自身から、最初はできる範囲でいいと思います。フィルターはずしを1つずつ、始められてみてはいかがでしょうか?
【2006/11/08 22:35】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(2)〜主治医からの助言〜
私は当時の主治医にこう言われました。「あなたは、何か悩み事がありますか?」当時の私は仕事の現状に納得していなかったので、土台を作り変えようと必死でした。しかしながら、理解ある上司に恵まれたこともあって、私の企画は採用されていき、営業の土台を一新するプロジェクトとして、新人でありながら、本社の販促室ともやりとりできるようにさえなっていたのです。もちろん人間関係も良好でした。私にはストレスがあることさえ自覚がなかったのです。

「いいえ、職場もプライベートも特に問題になるようなことはなにもありません。むしろうまくいっていてこれからもっとという時期だったのに・・・。」そう答えると先生は「あなたのような人がすい臓を悪くするのですよ。だいたい、ストレスや精神的トラブルの原因を自覚しているような人は、胃にくるんです。すい臓は前からレントゲンを撮っても写らない、背中からは骨盤が邪魔をして、みえない・・・そんな隠れた臓器です。問題がかくされていて自覚できない人が、そこに気付いて欲しい!と身体もサインを送っているのですよ。」そう言われました。

まだ若かった私は「そんなこと言われても、心当たりがないんです。」と反論するしかありませんでした。先生は「精神的な原因と身体に出てくる疾患のサインは紙一重なんです。ただね、悩みもね、例えば今悩んでいることが5年、10年経って同じことで悩むかというと違うんですよ。もしあなたが今、悩みに気付いたら、そのことを覚えていて5年後に思い出して御覧なさい。いや、思い出せないかもしれないな・・・思い出せたとして、同じことで悩めるかどうか考えてみるといい。」そう言われました。

今考えると、とっても(西洋医学の先生なのですが)的を得たお話をして下さっていたのですが、当時は馬鹿にされているようにしか聞こえませんでした。「まったく・・・他人事だからそう簡単に言えるのよ」と思ってしまっていたのです。「なんでまじめに仕事もしているわたしが・・・?」その当時の私はまさに「悲劇のヒロイン」そのものでした。しかしながら病気はときとして、考える時間を与えてくれるものです。そして、自分自身や、周囲に対しての自分のあり方などに対し、色々なメッセージをくれる存在でもあります。それに気付いていくまでには、当時の私はまだ数年を費やすこととなるのです。
【2006/11/08 07:46】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
扉が開くまで(1) 〜踏み続けたアクセルの結果〜
私は、大学を卒業して希望していたところとはいえませんが、大手の住宅メーカーに営業として勤務することになりました。

祖母の3回忌を済ませ、両親も定年退職をし、新たに自宅兼事務所を構えることとなり、未婚の叔母たち3人と祖母を含む、8人という大所帯で暮らしていた家を出て、父、母、姉、私、そして新しい家族の愛犬ミルとの生活も始まりました。

私の社会人としてのスタート意識は、かなり厳しく持っていたと思います。それもこれも母の影響が強かったと思います。母は一般的な「お母さん」という人ではありませんでした。男性以上に仕事ができ、収入も、公務員であった父親の倍近くもらっていたと思います。母は帰宅も我が家で一番遅く、8人家族で暮らしていたときは、病弱だった伯母が、家事全般を請け負っていました。その代わり、伯母や祖母の経済的な面倒一切をみていたのが母でした。

そんな母に早くから「社会人哲学」を叩き込まれていた私たち姉妹は「いつか、自分なりに事業をやるか、会社で納得のいくポジションニングを得て仕事をするんだ」という自負がありました。しかしながら、本来父に似て、ゆっくりした空気やペースを好む私にとって、社会に出て最初から、母のようなペースで仕事ができるはずがなかったのです。

入社半年で私は、おそらく気負いすぎた面もあったのでしょう。膵炎を引き起こし、入院をしました。私生活でも色々と難題を抱えていた私は、知らず知らずにストレスを身体に溜めていっていたのです。
【2006/11/07 23:35】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
外側に求めるもの(3)〜内側の意識が呼び寄せる外側の現実〜
ある日私は、夢の中で車の中に閉じ込められていました。しかもその車の上から、誰かがいきなりものすごく大きなハンマーで車を叩きつけて潰していくのです。

「やめて!!ここから出して!」と私は叫んでいましたが、ハンマーはどんどん車を私ごと潰していきます。段々身を縮めて、私は呼吸が苦しくなっていくのを感じました。「いやだ!!私にはまだやらないといけないことがあるの!死にたくない!!」そう叫ぶと現実世界に戻ることができましたが、私は相当な汗をかいていました。

もちろんこんな夢をみたのですから、嫌な予感がありました。しかしまだそうしたことを回避する方法を私は知らなかったのです。夢があれだけ訴えてくれていたのに・・・。

実際、その日から1週間もしないうちに私は接触事故を起こしてしまいました。運転免許を取って間もないときでした。事故があったときは、ものすごい剣幕でどなられてしまい、道路に車を止めさせられて「どうしよう!」と思いましたが、私が女性だと分かると(若かったせいか?<苦笑>)途端にコロっと態度が変わって「いいよ、いいよ。免許取ったばっかりだったんなら、仕方ない。気をつけてくれれば・・・」と車体に傷をつけてしまったにも関わらず、帰り道道に迷った私に丁寧に帰り方まで教えてくれました。

「これで災いを軽減できているっていえるのかな・・・?」私はまだ「本人の心の状態」が「現実を引き寄せている」という法則に気付いていないでいました。小さな子供の頃はこの法則を理屈でなく、本能的に分かっていたのだと思います。

しかしながら、この事故以来、私は怖くなって夢日記をつけることをやめてしまったのでした。
【2006/11/06 23:34】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
外側に求めるもの(2)〜夢が教えてくれること〜
先生は笑みを浮かべながら、続けました。「あなたは本来、相談するよりもされる方が多いはずです。それもあなたの持って生まれた質なのです。他人の悩みを解決する中で、あなた自身の悩みも解決されていくでしょう。そしてあなたが悩んで悩みぬいて、解決できたことが経験となって、他人を助ける場合においても、そのことが大きなキーポイントにもなると思いますよ。」と言われました。

そして、その日から「夢日記」をつけることを薦められたのです。先生は続けられました。        「簡単なことなんですよ。みた夢を朝起きて、日記のように綴るだけです。そして月日が経つに連れてあなたは、夢をコントロールできるようになっている自分に気付くはずです。それはあなたの扉を開く一歩となるでしょう。」そう言われ、私は「なんだ、受講料要らないんだ。まあ、嘘か本当かは分からないけど・・・それくらいなら、興味も少しあるし、やってもいいかな・・・」そんな気持ちで、やってみることにしたのです。

最初は夢判断の本を買ってきて、夢占い気分でつけていました。
ところが気がつけば、私は「予知夢」をみるようになっていったのです。友達と話した内容がそのまま現実でも起こったりするようになったり、夢でみた景色を現実でもみることになったり、それが非常にリアルで、次第に私はいったいどちらが現実なのか境界線が薄くなるかもしれないということに対し怖くなっていきました。予知夢でなくとも、まるで「お告げ」ととれるような象徴的な夢をみるようにもなっていたのです。もちろんいいことばかりではありません。

ただ、あることが起こるまでは、私にもまだこの現象を楽しむゆとりがあったと思います。そのあることとは・・・?
【2006/11/06 21:30】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
外側に求めるもの(1)〜思春期 閉じた扉を叩く音〜
小学校高学年くらいのときから、私は占いや心理テストにはまりました。中学に入ると、私の机には占いの本やタロットが並ぶようになりました。

中学のとき私はタロットカードをはじめて買ったのですが、これが私が何気なしにやると、なぜか当たるのです。中学生というとお年頃なので、たいていが女の子同士では恋愛話で盛り上がります。「りえこの占い当たるらしいよね?」と、他のクラスの子まで集まってくることもありました。(いやいや、そんなん私プロでもなんでもないし、そんな期待されても・・・)内心そう思いつつ、タロットをして、その結果がよければ、私はなんとアフターケアまでしていたのです。女の子と思っている人がうまくいくように一役買ったり・・・(笑)。すると、そのときは意識が外側に向き始めていましたので、単なるラッキーとか偶然だと自分でも思っていました。でも、同時に同じ空気の流れという「同調」しているか、いわゆる馴染まない「違和」の流れなのかという、女の子と相手側の空気の流れを無意識に感じ取ってしまっていたようなのです。

私が取り持つとその頃は、理由はうまく言えないけれど、その空気の流れの違いを感じるせいか、うまくいってくれることが多かったのです。そんな話をすると、さぞかし、自分の恋愛もうまくいっていたんだろう・・・なんて思われるかもしれないのですが・・・実際のところ、全くダメだったんです。(苦笑)自分のことは主観が入るせいか、占いをすると答えが都度違って出てしまいますし、なにせ、プライドが邪魔して自分から告白なんて、できなかったんですよね。

高校生になっても、私は友達を応援するばかりで、自分の恋愛には、本当にオクテで、ダメだったんですよね。男性的な気性もあってか、男友達はいつもいましたが、友達より恋愛を優先することがどうしてもできずに、今から考えると一番いい時期(?)に、たくさんのチャンスを逃してきたなあと思います。(笑)

そんな中、大学に入って、久しぶりに高校時代の親友から「すごく当たる占い師さんがいるらしいよ」と聞き、私たちはその占い師の方のところへ出掛けていったのです。

占い師さんは私の顔をみるなり、「あなた・・・ずいぶん霊感が強いみたいですね。それはどうも家系的なものと過去世の影響があるようです。」と言われました。確かに、私の父方の祖母も、母方の祖母もとても霊感の強い人だったようです。「あなたのその力はまだ目覚めていません・・・というよりも、昔は目覚めていたのかもしれないけれど、何らかの理由で閉じてしまったみたいですね。その力を引き出すことができれば、あなたにとってもとてもプラスになります・・・実際、あなたは私たちのような仕事も向いていますよ。その気があれば占い師にもなれます。どうですか?将来的なことの1つの選択肢として、考えてみませんか?」と言われました。

(私もしかして、勧誘されてる?・・・冗談だよね?こんなのって、「私が教えてあげますから」って言われて、受講費みたいなお金をぼったくられてしまうとか?そんなの嫌だよ・・・。)と警戒心ありありの顔で、「いや・・・結構です。」と言うと、占い師の先生は笑って(今考えると、そういう心中も見通されていたのだと思いますが)「そんなに警戒しなくても、お金も頂くつもりはありませんよ。それに、別に勧誘しているというわけでもないんです。ただ、それだけあなたには資質があるってことをお伝えしたかっただけなんですから。」と言われました。それでも私は心の中で(しまったなあ・・・なんで軽いノリでついて来ちゃったりしたんだろう?とにかくここは、逃げ切らないと・・・)そう思ってガードを固くしていました。(私は学生なんだし、そんなお金はありませんから・・・)とまだ、疑いながら、心の中で何度も逃げ口上をつぶやいていました。(苦笑)
【2006/11/06 06:25】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
内側の目覚め(3) 〜内側から外側へ〜
ケミの死後、ペットロスになってしまった私は、友達のおかげもあって、なんとか立ち直ることができましたが、その頃から少しずつ、少しずつ自分の意識が外側に向かい始めたような気がします。

でもまだ、小学校5年生くらいまでは、自分の内側にある、自分を守護してくれている存在や、内側の意識が外側に反映されていくということを、理屈ではない部分で認識していたと思います。

しかしながら、私は小学校5年生の2学期を過ぎたくらいから、自分の外側への意識が強くなり、友達を求める意識が強くなっていることに気付きます。

それまでは、どれだけ外側に友達が少なくとも、それでも正直納得している自分が居ました。

学校というのは1つの標準ラインを無意識に設けている場だと思います。それは私が小学生のときから、息子が小学生になった今でも変わらない部分だなと感じています。ですから、そこからはずれると、変わっている、あの子はちょっとおかしいよね。という風になってしまうのでしょう。

それでも頑なに私の内側には、それに抵抗している部分があったのですが、5年生のときのクラスメイトに、「もし、仲間になりたいっていう気持ちがあるなら、自分から輪に入っていかないといけないと思うよ。自分でバリア作っているうちは、誰もそれ以上は踏み込めないものだと思う。勇気を出してみて!みんなもそれを待ってくれてると思う。」そう言って、外遊びに誘ってくれたEちゃんという女の子がいました。

彼女はとてもしっかり者で、頭もよく、人気もあって、クラスの中心に居た子でした。私は自分の内側にこだわっていたことが、なんだか彼女に言われて恥ずかしくなってしまったのです。私も本当の意味での友を欲していたのです。勇気を出して、外遊びに入れてもらい、以来、私にもたくさんの友達ができ、持ち上がりで6年生になる頃には、私もクラスの中心に居るようになりました。

Eちゃんとは一緒に居るグループは違いましたが、その後も仲良しでした。元々所属意識の薄い私は、女の子特有でできてしまうグループに一応居ながらも、クラス全員と仲良くしていたのです。

残念ながら、Eちゃんは5年生の途中で転校してしまいましたが、今でもその小学校5、6年生のときのクラスは忘れられません。クラスの子たちの持ち味や温かさを引き出し、育ててくれたのは、何を隠そう、クラス担任のW先生、通称Wセンの存在が大きかったからです。

ただ、それと同時に私は内側との対話を意識しなくなっていきました。おそらく多くの子供たちよりも、私はそういう意味で(意識が外側に向く時期が)オクテだったのだとは思います。

それから長い間、私は内側の意識の認識が薄れたまま過ごすことになります。それでも、要所要所ではいつもハイヤーセルフや守護神たちが助けてくれていたことは、気付かざるを得ない瞬間がたくさんありました。

次回からは、その日々の小さな導きについても触れていきたいと思います。

【2006/11/05 09:17】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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りえこ先生のブログ


プレマ動物ナチュラル・ケア・クリニックのりえこ先生のブログです。

プロフィール

プレマリエ

Author:プレマリエ
ホリスティック(ナチュラル)・ケア主体の動物クリニックを、獣医師の夫と共に営んでいます。私は動物の心・魂からのメッセージを、ご家族にカウンセリングを交えてお伝えする、アニマル・コミュニケーターをしています。また、2005年に南インドで研修を受け、魂の前進・解放を促すエネルギー・ワーク「ワンネス・ディクシャ」のインストラクターになり、セミナーも開催しています。人と動物の種別を超えた絆、人や動物たちが本当に幸せになるために、魂的な前進をしていくために、私たちが、どのように生きていくことを自覚していけばよいのかなども、お話ししていきます。どうぞよろしくお願いします。

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