少しの間留守になりますが・・・。
明日から、関西に帰省し、土日は神戸でアニマル・コミュニケーション、
ソウル・コミュニケーションの
出張個別カウンセリングを行なってきます。
仕事で帰るのですが、今回はいくつか大事な用事もありまして、
1週間ほどは滞在することになりそうです。
関東で、ご予約・フラワーレメディの処方をお待ちの方には、
ご迷惑をおかけ致し、申し訳ございません。
何卒、ご理解のほど、宜しくお願い申し上げます。

今回の神戸では、6組のご家族とのご対面となります。
キャンセル待ちをして下さった皆様は、お申込者様ご家族様の数を
超えていらっしゃいました。お待ち頂きました皆様にも、
心よりお詫びと御礼を申し上げます。
次回以降の予定も、決まり次第、ホームページや、
ホームページから登録できる、メールマガジンでお知らせしていきますので、
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

ブログ再開は4月以降となります。
ブログのインド研修レポート2も、いよいよ後半戦です。
長い間かかってしまっておりますが、
本人の私が咀嚼をしながらの、ご報告となっておりますので、
ご不便をおかけしておりますが、こちらのほうも引き続き、
ご愛読をよろしくお願い申し上げます。

(ここのところ、コメントにブラックリストに載せてしまいたくなるようなサイトや
管理者からの書き込みやトラックバックが残されることが増えましたので、
いったん、コメントとトラックバックについて、受付をクローズさせて頂きます。
本当に申し訳ございません。
一部の方々があちこちのブログにランダムに送信されているのだと思いますが、
このような書き込みを削除する時間も無駄になりますので、
純粋に、このブログに遊びに来て下さっている方々が、
逆にコメントしづらい状況になってしまっているのではないかと、
私のほうも心苦しい思いでおります。そういう事由もありまして、
このブログのご感想やご質問などは、私たちのH.Pをご存知の方のみ入れる、
メールアドレスのほうへお願いできれば幸いです。
ご面倒をおかけ致しますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。)
【2008/03/25 14:37】 | 未分類 |
インド研修パート2 (35) 〜「集中」のもう1つの意味〜
ブログをご無沙汰していて申し訳ございません。
ここ1か月、申告やら、メルマガの発行やら、いろいろとやることがあって、
こちらのほうがご無沙汰になっていました。
おかげで、不要な書き込みがあったりで、
せっかく訪問して下さったみなさまに、不快な思いをさせてしまったかもしれません。
心よりお詫び申し上げます。

下記より研修体験記の続きとなります。

11月9日はディバリー祭の日でした。
ディバリーとは、光を意味する言葉で、
この日は、「光が闇に打ち勝ち、支配した歓喜の日」
なのだそうです。

以下のお話はインド人女性ガイドP氏からです。

「インドには子供がみんな知っている神話があります。
子供が食べ物を食べたがらないときのものです。
ビクラマという王の神話で、『ガウル』というお化けの物語です。

人々はガウルに悩まされ、王ビクラマのもとに、退治の要請が
きました。ビクラマは森に入り、ガウルを捕えにいきました。
ガウルはほどなくつかまりましたが、ガウルは王に向かって
こう言いました。

『王様、あなたはとても賢く知恵もあり、史上最高の王です。』
と褒めた後、続けてこう言いました。
『これからあなたは、私の話をお聞きになって、正しいと思う
判断をして下さい。これから私が話をしますが、それに対して
あなたが口を閉じたままでいると、頭が100個に割れてしまいます。
そしてあなたが私の話に対し、口を開くと私は逃げてしまいます。
よろしいでしょうか?
ここで、ガウルの挑戦を断ったら、勇気がないと思われるかもしれない・・・
王は、ガウルの誘いに同意することにしました。

ガウルは王様に話をしながら、『話で同意するか否か考えて下さい。』
と言われ、ビクラマは頭が100個に割れてしまうことを恐れて、
自分の考えをガウルに話しました。ガウルは喜んで逃げていきました。
それが何百日と繰り返されました。

最後にガウルが質問をしたとき、王は沈黙を保ちました。
そして静かに微笑んでいました。
ガウルは慌てて言いました。
「どうしたのですか?早く返事をして下さい。
あなたの頭がどうなっても知りませんよ・・・」と。
けれども王は一切返事をしませんでした。
その後、ガウルは見事につかまってしまったのです。
もちろん、王の頭が100個に割れてしまうことはありませんでした。

そのとき王は完全に話したいという欲求も、
頭が割れてしまうかもしれないという恐怖も、
克服していました。

ここで言う、ガウルとはマインドのことです。
マインドは常にジャッジを求めているからです。
マインドはストーリーを語り、その中でジャッジを
委ねてくるからです。
外側に何かが起こるとマインドは解釈を加え、
自分の都合のいいように訳し、展開します。
誰かがあなたに何かをしても、しなくても、
あなたの中にストーリーを作ってしまうのです。

誰かが悲しい話をしたとします。
それであなたは、自分と比べて『自分もそのように
なったらどうしよう・・・』白昼夢を展開します。
それがマインドであり、ガウルです。

集中とは、1つのことにのみ心を向けることでもありますが、
今日説明する集中は少し意味が違います。

もう1つの「集中」とは、心理的活動に気付くことです。
いろいろと心が動きだしていることに気付き、
その動きをとらえてみること・・・これが集中です。
そのように、あなたのマインドの動きをあなたが、
気付いて、とらえ、観察ができなければ、
マインドはあなたを支配していきます。

王様は最初、ガウルが仕掛けたゲームに気付かなかった
ので、お化けとゲームを続けていたのです。
けれども、最後に王様は、ガウルと戦っているのではなく、
自分の恐れやジャッジや先入観などが、
戦いのゲームを作り上げてしまっていたことに
気付いたのです。」

**********************************
理恵子から

誰かに何かを言われたとき、何かを問われたとき、
私たちはなにげなく会話をし、その場を過ごしています。
けれども実際には、会話が終わってから、
「もっとこう言えばよかったかな・・・?」
「なんだか・・・不機嫌じゃなかった?私の言い方が
まずかったかな・・・。」
「なんで、そんなこと聞いたんだろう?
何か意図があるのかな?私を試してるのかな?」
「相変わらず、馬鹿な質問するよな・・・」
など、既にその会話が終了しているにもかかわらず、
自分や相手に対して、コメントが次々と浮かんできて、
マインドが働き続けているのです。

私も大学のとき、仏教系の大学だったので、
授業の前にメディテーション(瞑想)をすることが
よくあったのですが、そのときも
「Consentration!(集中しなさい!)」と
よく先生に言われました。
その頃の私は「集中」の意味を、
「何も考えず、ただ目の前のことだけを考えること」だと
だけ理解していまいた。
けれども、マインドが同居している限り、
全く何も考えずに時間を過ごすということは、
かなり修行を積んだとしても非常に難しいことなのです。

インドでは有名な話があります。
あるところに、いわゆる解脱を願って、修行を続けてきた人がいました。
その男性は、もう自分の命が長くないことを悟っていました。
「もう、この次元には生まれたくない。私はたくさん修行を重ね、
自分の意識を完全にコントロールできるようになった。
もちろん意識を無に集中することもできるようになった。
ああ、これからは光となって至福の世界から、
この三次元を見ることができるのだ・・・」
そう思っていました。
ところが・・・そんな男性にふと気のゆるみが出てしまいました。
目の前にハエが飛んできたのです。いつもなら、男性は見向きも
しないはずでした。ところが、もうすぐこの世界を離れて自分は
光の存在になれる・・・そう思った心に隙ができてしまったのです。
意識がハエに集中しました。「こんなところに飛んできて・・・
お前も不憫だなあ。早く人間になるといいな。」
そんなことを思ってしまったのです。

ほどなく男性は死を迎えました。
(ああ、これでもう二度と生まれ変わらなくていいんだ・・・)
男性はそう思ってしばらく眠ることにしました。
男性が気がついて、辺りを見回してみると、
なんだかみたことのある光景が広がっています。
(光の世界は本当に素晴らしいところだと聞いていたが、
なんだか自分たちのいたところとあまり変わらないみたいだな。)
そう思ったとき、大きな手が自分の前をぶんぶんと
振り払うように左右していきます。
「もう!まったく、しつこいハエだ!!」と大柄な男が、
手を振り回して自分を追いかけるではないですか!
「え?・・・どういうこと!?私は光になったのではなくて、ハエになって
しまったというのか・・・?」
男はあまりのことに言葉を失ってしまいました・・・。

・・・そうです。男性はハエに生まれ変わってしまったのです。
マインドが無に集中し、ふと無でなくなったとき、
彼のマインドの隙間に飛び込んだもの・・・それが唯一ハエだったので、
彼はハエと一体になってしまったのです。

このように、マインドの存在を否定的に捉えてしまうと、
抑えていたものが一挙に噴き出してしまうことがあります。
マインドだけではありません。
病気の際の対応も同じですし、
食に対してもそうだと思います。

精神世界を知った人たちの中でも、最初の段階では
ありがちなことで、私たちもそうした時期を経てきましたが・・・
心の奥深いところを知って、感じてしまうと、
なにもかも、この世の中が間違っている、
怖い世の中だと思ってしまいます。

結果、ごくごく大多数の考え方の人たちに、
「それは間違っているよ」と、相手の考え方を否定して、
変えさせようとしたり、厳格な食事をして、かえって体を壊してしまったり、
安全な衣食住や平安な心の状態を守ろうとして、借金まで作ってしまう
ことさえもありうるのです。
もちろん、食に関心を向け、エコを心掛け、
薬に頼らない体を作る・・・こうしたことは、
外側の活動としてとてもいいことだと思います。

ただ、何かに対して、右往左往している状態は、
たとえ食事を安全にしても、ナチュラル・ケアに変えてみたからといっても、
エコを意識して、活動をしていたとしても、
根っこの「揺れ動く自分」は、なにひとつ変わってはいないということなのです。

美しくない考えが浮かぶ自分、相手に嫉妬する自分、
怒って相手を恨む自分・・・たくさんのよくない考えが浮かんでは消え、
そのたびに、自分が揺れ動いてしまう・・・
そうした自分をまず受け入れ、そのうえで、
観察することで、克服していくためには方法はたった1つ
「Consentoration(集中)」しかないのです。

上記の修行者の方は「集中」と言いながら、「無の状態」に
囚われてしまっていました。
「こうあらねばいけない」と無意識にその状態を作り出そう、
作り出そうとした結果、思わぬ状況に飲み込まれてしまったという
ことのお話しです。

「無の状態」は、本当に集中できたときに、
結果的に経験できることであって、
その状態になろうとしてなれるものではないということなのです。

はたらき続けるマインドを否定せず、
否定的な考えが浮かぶ自分を否定せず、
自分の内側のConsentrationが定着してくるとき、
他者に対して、自然と否定的な考えも消滅していることに気付くでしょう。

私もここのところ瞑想はあまりしてはいないのですが、
たまにすると、心の内側がとてもクリアになります。
自分の内側を観察し、内側の聖なる存在との絆を深める意味での
瞑想はとても効果的だと思います。
そのときは、本当の意味でのConsentorationで、ぜひ行なってみて下さい。

【2008/03/17 13:54】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(10) |
人間関係のすべてが友達関係になることを願って・・・
ワンネス・インストラクターの方には、耳が痛くなるほど聞いている言葉だと思いますが、
それ以外の人にも、私が3年前に、インドに行き、研修を受ける決意をした中で、
大きなメッセージとなった、ワンネス活動の先導者である、アンマ&バカヴァンの言葉です。

私の中で、数あるお二人のメッセージの中で、一番指針としている言葉です。
みなさんともシェアをしたいと思います。



「人生とは人間関係です。

そして、人間関係の最高の形は、友達関係です。」



親であっても、子供であっても、恋人でも、妻でも夫でも、職場の同僚や先輩、上司でも、
それは決められた枠組みでの関係性だと思います。
親は子供に「親の言うことを聞きなさい」といいます。
夫は妻に「お前は結婚して俺の妻になったんだから、妻らしくしなさい。」と言います。
妻もまた夫に「あなたは一家の大黒柱なんだから、しっかり夫らしく働いて家計を
支えて頂戴ね。」と言います。
恋人でも「愛しているよ」とささやくことはあっても、
本当にありのままの自分の状態で、受け入れられていることも、
相手の本当の姿のまま受け入れていることも、ごく稀なはずです。
職場においても、立場や義務が先行し、相手に本音を言えなかったり、
気を使ったりしあってしまうでしょう。

ですから、あえてこの言葉が贈り物になるのです。
「この人が今、私を必要としているなら、
どんなときでもかけつけてあげたい。
この人のために、自分は何ができるだろう?
離れていても、彼・彼女の幸せはいつも願っている・・・。」
本当に心からの友人関係であれば、このように思えるはずです。
もし、相手に対してなんらかの条件づけが出てくるようであれば、
それは本当の友達関係を築けていないのかもしれません。

なぜなら本当の友人関係は、自分と相手との壁がとても薄いものだからです。
同じように痛みを分かち合い、同じように感動しあい、笑い、涙し、
共感しあってきた相手に対しては、
「なにか自分のためにしてほしい」という要求よりもむしろ、
「相手のために何がしてあげられるだろう」と考えてしまうからです。

その気持ちは、たとえ関係性が友達同士ということでなくても、
恋人同士でも、親子でも、夫婦でも築いていけるのです。
それなのに私たちは、親子であること、恋人や夫婦であることの
枠組みの方に囚われてしまいます。
コンパニオン・アニマルとの間もそうです。
上下関係を教え込むことよりも、家族として、なにがあっても、
あなたのために、私たちはなにができるのかと思っている・・・
そういう気持ちの方を大切にしてあげて下さい。
みなさんが、そういうベクトルを相手に向けいていけば、
必ず、みなさんの気持ちは、相手との壁を薄くしていきます。
つまり、相手の気持が自分が感じているように分かるようになってくる・・・
ということなのです。
まず、身近な人やコンパニオン・アニマルの中で、
ご自身の枠組みの枠をはずして、本当の友人関係をもって、相手と接して
みて下さい。そうできたなら、みなさんの中で、内側の革命が起こり始めます。
いい意味での、大革命です。

今の世の中は、政治や社会の中でも、相手の批判や言い訳ばかりです。
そうした人たちは、なによりも、自分への批判や評価もまた気にしている人たちです。
自分たちの党の正当性を訴えることよりも、むしろ、協力しあって、
いいところはどんどん取り入れて、まとまっていくことの方が、
ずっと社会のためになるにも関わらずです。

多くの宗教においても、また、同じだと思います。
私は神仏の存在は信じていますが、
何かの宗派に固執することも、傾倒することもありません。
「他者に批判されるから、自分も他者を批判する」
そこには、枠組みや立場に縛られている、自由に慣れない状態の人たちが
多く存在しています。
もともと、神仏はもっと自由な存在だと、子供のころから思ってきたからです。
神仏は崇めたてまつるような存在では、私の中ではありませんでした。
「バチが当たる」とか、周りの大人たちには言われて、脅かされたことが
ありましたが、でもどこか私の中では「そんなはずないじゃない。」と
いつも思っていました。ボールが跳ね返るように、自分が言ったことや、
した行為は跳ね返りがある場合があります。けれども決してそれは、
神仏が罰を与えているわけではありません。
そうした神仏に対する概念が「おそれ」や「不安」に繋げてしまうということは、
神仏と私たち人との間に、大きな壁や距離を作ってしまっている結果に
なっているのです。ですから、内側で私たちを見守ってくれていたり、
直感のような形で、「そっちには行かない方がいいよ」とか
「今日は○○した方がいいよ。」と、内側の神聖な意識が知らせてくれたとしても、
それを多くの人が「気のせいだ」と思い込むしかなくなっているのだと思います。

概念は慣習として、個人個人だけでなく、人々の集合意識に働きかけていきます。
ですから、人の集合的な意識がネガティブにはたらき過ぎると、
外側の世界にも、戦争やテロ、天災や政治・社会不安などという形で、
起こってくることがあるのだと思います。
それは神仏が起こしているのではなく、私たちひとりひとりの意識が、
塊となって、この地球を巡り巡っていくことと、大きくかかわっているのだと、
私は理解しています。

概念が慣習化されるという歴史は繰り返されています。
けれども、一人一人が、、小さなことからでも気付くことができれば、
それは、たとえ大人になっていたとしても、その慣習は変えていくことが
できるのです。
そのことを、子供たちや動物たちは、私たちに身をもって教えてくれます。
彼らは理屈よりも、むしろ、感じたことを優先するからです。

ですから改めてこの言葉を、みなさんとシェアしたいと思いました。
あらゆる枠組みを超えた、友達関係・・・
そんな輪が広がっていく・・・
そんな世の中が1日でも早くくることを願って・・・。
【2008/01/30 22:31】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
受容〜acceptance〜について・・・私なりに思うこと
前回のP氏の話に補足しますが、
自分をありのまま受け入れられていない場合は、
本当に他者をありのまま受け入れることはできません。
そこには、比較や評価が存在しています。
まず、自分をありのままで受け入れることが大切です。

でも、そうは言っても、簡単にできない場合の方が多いでしょう。
そんなときは、どうかご自分を責めないで下さい。
簡単にそうできない理由は、私たちが長い年月、
親や身近な人物にそのように接してこられたからです。
親や目上の人のせいにすることは簡単です。
けれども、そうして私たちと接してきた親たちにもまた、同じ歴史があります。
その慣習的な比較や評価は、どこかでその鎖を断ち切らなければ、
また、私たちが私たちよりも若い人たちに、その意識状態を
バトンで渡してしまうことになってしまうのです。
歴史はずっと繰り返されています。
「なにかおかしい。」「それは違うだろう?」と思う自分がいるのなら、
今からでも遅くはありません。
自分をきちんとみつめ、そして抱きしめてあげて下さい。

本当は私たちだって、それを親からしてもらいたかったのです。
けれども、親も最初から親であったわけではありません。
間違いも犯します。失敗もあります。
親にそこまでの完璧さを求めても、
それは土台無理な話なのです。
親たちであっても、そのように100%ありのままの自分でいいと、
誰も言ってくれない中で、大人になってきたのですから・・・。
でも、私たちには最初に出会う存在ですから、
やはり、ありのまま、自分を変えようとせずに受け入れてほしかった・・・
そう思うのもまた事実のはずです。

ありのまま、自分を受け入れてくれる人が身近に居たとしたら、
それはどんなに幸せなことでしょう。

けれども、親も兄弟姉妹も、祖父母も、先生も、友達も、恋人も、
職場の同僚や先輩、上司も、夫も、妻も、そして子供も、孫も、
ありのまま、私たちを変えようとせずに受け入れてくれる人は、
なかなか存在しません。

なぜならそれは、繰り返し言うように、
まずその人たちも自分自身をありのまま
受け入れていないからです。自分をありのまま「O.Kなんだ」と
思えていない人が、他人をただそのまま受容できるでしょうか?

私たちをありのまま受け入れてくれる・・・その最たる存在は、
自然や人と暮らす動物たちでしょう。
太陽も月も、風も空気も水も、当たり前のように毎日私たちを
包んでくれます。

動物たちにおいても、決して今の規制だらけの人間社会で
暮らすことは、「待て」や「いけない!」とSTOPをかけられる
ことが多い中で、決して何もかも解放されて、のびのびと
生きていける社会ではないにも関わらず、
本当に、ただただ存在そのものが愛であるということを、
体現してくれる・・・そんな存在だと思います。

ただ、人と暮らす動物たちの場合は、
自分をありのまま受け入れてくれない家族の中でいると、
最初はありのまま家族を受け入れていたのに、
突然豹変する子もいます。
また、幼い頃にありのまま受け入れてもらえなかったりしたトラウマが
ある場合にも、家族とトラブルがおきる場合があります。

もちろん、「しつけ」「トレーニング」は、
人と暮らす中で最低限のルールを
教えるためには必要なことです。
ただ、私は彼らと話をしていて、
決してそれが、何よりも先立って必要なのかということに、
疑問を感じるのです。
最近、本当に突然家族に吠えたり、噛みつこうとしたりする子の
ご相談も受けることが増えています。

半分は、きちんとしたしつけをしていなかったという場合ですが、
あとの半分はむしろ、小さい頃から熱心にトレーニングをしていた
ご家族であったりします。
このさじ加減・・・人間の子どもと親の距離感ととっても似ていたりします。

犬たちもしつけ教室やトレーニングに通う子が増えました。
それに加え、人間の子供たちも、塾や習い事に通う子たちが本当に多くなりました。
うちの子も、7歳を過ぎて、ようやく自分から「○○習ってみたいな。」と言う
ことがでてきて、習い事はしています。
それが本当に本人にとって楽しいことで、楽しい場所であるなら、
それもいいことだと思います。

ただ、その子よりも親御さんの方が熱心になってしまうと、
人間の子供でも、犬の場合でも、たいてい子供(犬)の方は
冷めてしまっているということもあります。
そんな場合は、そこがもしかしたら、その子にとってベストな場所では
ないのかもしれません。
そんなことも、その子のパーソナリティをきちんと受け止めてあげて
いなければ、気づかずに過ごしてしまっている場合もあるのです。

育児が動物たちを育てるとき、
誰だって初めてのときには気負いがあります。
子供さんの居る方や、何頭か動物を育てたことがある方は、
おわかりになるかもしれませんが、
最初の子供と、二番目三番目の子供では、
こちらの接し方も違っていることが多いのです。
やはり、初めての子供に対しては、親も神経質になったりします。
ですから、長男長女や、動物の場合も一番先住の子が、
気持ち的に、(一見そうはみえなくても)繊細な子が多いというのも、
(もちろん、個人差はありますが)うなづけることが多いでしょう。

そんなときは、「気負わないで下さい」といっても難しいでしょう。
私だって初めて自分で子犬から犬を育てたときも、
今の自分の子供を産んで育てているときでも、
分からないことだらけでした。
学校でも職場でも、妊娠・出産・育児(動物の場合も育てるという意味では
育児ですが)についてなんか、授業でも仕事でも経験はできないですから、
結局、その場その場で、自分で確かめて迷いながら答えを出していくしか
ないのです。

分からない時は、経験者に聞いたり、本やネットで調べることも
もちろん一案ですが、一番いい方法は、本人に聞いてみることなんです。
赤ちゃんも、動物も人間の言葉は話しません。
けれども、ちゃんとYESなのか、NOなのかは表現してくれます。

そうして、人間の子供も、動物たちも「頑張って、自分のことを分かろうと
してくれている」という大人の姿をみて、「愛」を実感して育っていくのです。
動物の場合は、事情があって大人になってからお家に来る子もいるでしょう。
でも、彼らは魂的にとても私たちより、熟練した魂の子が多いですから、
きちんと向き合えば、必ず応えてくれるはずです。

動物たちも、人間の子供たちも察知します。
「自分を100%理解できないながらも、分かろう、受け入れようと努力してくれる家族」か、
「ただただ家庭や社会のルールに、自分を合わせようとする家族」なのかを・・・。
何度もこのブログでも書いてきていることですが、
何を言ったりしたりしても、注意もせず放任するということが「受容」ではありません。
社会や家庭でのルールを教えることは必要です。
けれどもそれよりも先に、「その子自身」のパーソナリティを知って、
それごと受け入れるということが、
本当に大切なのだと実感しています。

みなさんが、今のありのままの自分を受け入れられていれば、
きっと、子供であっても、コンパニオン・アニマルであっても、
ありのままのその子を受け入れていくことは簡単でしょう。

でももし、あなたがその子の持っている質を変えよう、
ただただ、いい子になって欲しい・・・周りとトラブルを起こさない
ように温和な子で居て欲しい・・・「だって、○○しなければ、
仲間に入れてもらえないでしょう?」・・・など、そのように思うのであれば、
みなさんは、ご自分自身を、ありのまま受け入れられていない
状態だと思います。

みなさんが本当に愛して止まないのは、
お人形のようにいい子の我が子や、コンパニオン・アニマルでしょうか?
それとも、たとえわんぱくでも、ちょっとナーバスで気が弱い子でも、
甘え下手で素直になりきれない子でも、いつもハイテンションで
元気がよすぎる子でも・・・「うちの子でよかった・・・」と思う、
その子自身でしょうか?
もう一度よく考えてみて下さい。

当院に来てくれる子たちは、なんらかの問題を抱えて相談にみえる子たちも
多いです。けれども、私はひとりひとりがみんな本当にかわいいです。

以前コミュニケーションで、コミュニケーションの間中、吠えている子がいました。
脳や神経系統の病気や、認知症が進んでで吠え続けていたりするケース以外は、
そういった状態でも、潜在意識にフォーカスして、お話ができる場合も多くありますので、
その子ともそのようにしていました。

半月もまともに食事をとらない、おやつは食べるが、食事は高カロリーチューブのもの
しか食べなくなった・・・そんな子がいました。
初めて来たときも、その子は、私をにらみつけていました。
でも、私はその子はなんらかの問題があって、空腹であるにもかかわらず、
食事をしないだけだということが、
すぐに分かりました。本当はお腹がすいているのに、
家族に気持がわかってもらえないことが、彼女のジレンマになっていたのです。

私に向ってワンワン吠えていた彼女に、少しずつ少しずつ私は
心を開いてもらう作戦に出ました。私は吠えている彼女に必要以上は
近づきません。ただただ、彼女に安心してもらえる距離を保ち、
その中で、潜在意識にコンタクトしていきました。

「・・・あなた、私の気持ちがわかるの?」と彼女は聞きました。
「ええ。だから本当はあなたがお腹がすいてたまらないこともわかるのよ。
よかったら、何があったのか話してくれない?」と水を向けました。

「・・・私、ものすごく怖がりなの本当は・・・。でもね、うちの家の他の男どもたちは、
もっと頼りないのよ。だからいつも私がママ(その子の本当の犬のお母さん)と、
家族を守ってるの。」
「・・・パパは?パパもいるでしょう?」(その子の本当の犬のパパ)
「・・・頼りないの。うちはママがパパみたいなの。
それで今家の中がバタバタしていて、兄弟の男の子たちが、
それでこわがってしまって・・・体の調子が悪くなったのね。
それで、みんなで病院に行ったんだけど、具合の悪くなかった私まで、
注射されてね、それが・・・ものすごい痛かったのよ。私、どこも悪くなかったのに・・・
前からね、私がママと家族を守ってるのに、他の兄弟たちと同列に扱われることも
嫌だったのね。それが、そのことがきっかけで一気に気持が爆発しちゃったのよ。
お父さんもお母さんも、お姉ちゃんたちも(保護者の方たちのこと)、いったい、
どういうつもりなの?って・・・。で、兄弟たちがお腹の調子が悪いくらいで、
私まで捲き沿いになったでしょう?だからもし、私まで具合が
悪くなったら、さらにまた、病院でなにをされるかと思うと・・・食べれなくなったの。
腹が立つのと、その心配とが重なって、食欲はあるのに食べれなくなったのよ。」

その子の話で私はだいたいの経緯を把握したので、
「大丈夫。ごはんを食べたとしても、おなかの調子がそれで悪くなったわけではなくて、
もうすぐお引越しをするために、人出入りが激しくなって、
お家の人も今まであまりお留守番がなかったのに、不在になったりして、
男の子たちは不安だったのよね。お腹を壊したのはそれが原因だから、
あなたは食べても大丈夫なのよ。」
「・・・本当?」
「うん、本当だよ。・・・じゃあ、いきなりカリカリはしんどいだろうから、
缶詰あけてあげようか?お姉さんに聞いてからね。」
と言って、保護者の方に承諾を得て、缶詰を開けると、
その子は2週間ぶりに、私の手から食事をしてくれたのです。
「あまり、近づいてこないでね。私、家族以外の人にあまり触られることって
苦手だから・・・。でも・・・こんな風に気持ち聞いてもらえるなんて思わなかった。
有難う。」

その子も帰るときに、「私はよく吠えるから、家族以外の人もあまり寄ってこないのに、
あなたは珍しいわよね。でも、おかげで助かったわ。」と言ってくれました。
保護者の方も「この子が、家族以外の人の手から、ごはんを・・・しかも半月ぶりに
まともに食べてくれるなんて、信じられないです。本当に有難うございました。」
とおっしゃって頂きました。

このようなことは、当院では、日常色々な形で普通に起こっています。
こちらが、相手をありのままの状態で受け入れようとする気持ちは、
動物でも、相手が人であっても、必ず伝わります。
その子が受けた傷が深ければ深いほど、
時間が経過していればしているほど、時間がかかってしまうこと
もあります。
けれども、そうした場合でも、私たちがお伝えしていることは、
まず、保護者の方々の「受容」というベクトルを、
その子に向けて、再構築するということなのです。

それさえできれば、あとは、必ず時間が解決してくれるはずです。
私たちは、どのようなケースであっても、
そのヒントを、ご家族にお持ち帰り頂くお手伝いをさせて頂いています。

当院に、メンタル・ケアに来られる時は、どうぞ親しいお友達のお家に
遊びに来た・・・そんなつもりで、お越し下さい。
私もコンパニオン・アニマルとご家族にお会いできることを、
本当に魂的ご縁であると感謝をし、お迎えしております。
ぜひ、みなさんともお会いできる日を楽しみにしています。
【2008/01/30 21:47】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
エゴのゲームを振り返って  〜私なりの対処法〜
講義が終わって、本当に私は1つの山を越えたように、
すっきりとしてきました。

相手を受け入れられない、エゴのゲームが止められないのは、
元を正せば、自分を受け入れられていないのです。
自分を受け入れられていないのに、本当に他者を受け入れることはできません。
自分がたとえば「支配したい」と思っているなら、
その理由を追求してみて下さい。
「支配されたくない」と思っているなら、その理由を考えてみて下さい。
「自分が正しい」「相手が間違っている」と
なぜ思うのかを考えてみて下さい。
なぜ、嘘をついたり、誤魔化したりしてしまうのか、
相手に理由を転嫁させずに、考えてみて下さい。

支配するエゴのゲームを展開しやすい人は、
「相手がとろとろと言い訳めいたことを言ったり、ぐずぐずしてるからだ。」
と言うでしょうし、
支配を拒むエゴを展開しやすい人は
「相手が偉そうに指示・命令をしてくるから。」と言うでしょう。
もう一度言います。
相手に責任を転嫁することはやめましょう。

エゴのゲームは、たとえ相手がスイッチを押したとしても、
あなたがそれに対抗しなければ、反応しなければ、
決して始まることも続くこともないのです。

相手に向いている矛先を自分に向けてみて下さい。
そこには、相手を理由にしている自分がいるはずです。
本当は、相手が理由ではないということを、
見ないようにしている自分がいるはずです。

最近私は、エゴにこのように向き合っています。
まず、それがゲームの何番の展開であるかに気付きます。

その上で、もし、相手から理不尽なことを言われたり、されたと感じたときは、
相手に「今、私傷ついたから・・・腹が立ったから。」と
伝えます。(たいていは、夫なのですが<苦笑>。)

それから傷ついたエゴをケアします。
私:「ねえ、今の言葉傷ついたよね?」
エゴ:「すごい傷ついた。普通あんな言い方しないよね?」
私:「でも、なんでそんなに傷ついたの?」
エゴ:「・・・だって、上からモノ言ってるじゃん!」
私:「そうか・・・偉そうに言ったらそりゃあ傷つくよね?
   他にはある?」
エゴ:「あの人は子供のことは、すごくケアするのに、
    私のことなんて、ちっともケアしてくれない。
    子供のことを考える半分でも、私を思いやって
    くれる気持ちになってくれたら・・・これだけで
    いいのに・・・結婚してから、たったこの1つの
    願いしか思っていないのに・・・」
私:「そうかあ・・・じゃあさ、なんで相手はそんなに偉そうに
   しか言えないのかな?」
エゴ:「私に腹が立つからでしょう?嫌いだからでしょう?」
私:「そうかな・・・?あなたは、彼が嫌い?」
エゴ:「・・・そんなはずないでしょう!むしろ、好きだから、
    大好きだから腹が立つんじゃない!」
私:「ほらね・・・相手だってじゃあ、同じ気持ちだよ。」

そういう自分の中でのエゴとの対話が進むと、
相手の自分への思いやりや、不器用でも私が気付かない部分を
フォローしてくれていることに気付いていくのです。
そう、軸が「腹が立つ」から「ありがとう」に
変わっていく瞬間です。
もちろん、程度によっては、腹が立つことが持続することはあります。
でも、昔の私なら確実に
「こんなこと思ったりしたら、相手と同じ土俵に立っちゃう。
私はそんな美しくない人にはならない。」
と怒りを否定して、押し込めてしまっていたでしょう。

怒りがあることに気付く・・・だけでは、私の場合、
いまひとつすっきりしなかったのです。
もちろん、自分が今、どういう状態なのかに気付くことは
第一段階として大切です。
でも、私の場合、相手に同じように感情をぶつけても、
決してすっきりはしませんでした。
よく「言いたいこと言ったら、すーっとしたわ。」
なんて、姉や母が言っていましたが、
私は性格的にそうならなかったのです。
もちろん、相手に感情をぶつけることは、
怒りの感情を否定して言いたいことを飲み込んでいることと、
なんら変わりはありません。
自分だけ味わうのが苦しいから、相手にぶつけているだけです。
それに私は気付いていたのです。

21日間のときのセッションで、小さなころの自分を抱きしめてあげて
下さいということが何度かありました。
私の中で、「エゴを否定しない」という、ガイドの方の意図が
伝わってきました。
それで、エゴの言い分を聞いてあげることにしたのです。
エゴは自分とイコールではありませんが、自分の考えの一部です。
そこを否定すると、葛藤が強くなります。
ですから、エゴの真意を聞いてあげるという対話形式を
とるようにしたのです。

結果は・・・私の場合、本当に怒りが持続しなくなりました。
相手に向いていた槍が、自分に向いたら痛いです。
どうして相手に槍を向けてしまったのか、
気付いたら、これは本当の意味で、
たとえ相手がゲームの発端をになったとしても、
それをつづけてしまったことに反省できます。
これはちょうど、何かの試合を思い浮かべてみられると
分かりやすいかもしれません。

相手にどんどん点を取られてしまうのに、
焦って行動が空回りしている・・・そんな状況を思い浮かべると
よくわかるかもしれません。
ギャラリーは、なぜ、この試合が相手チームペースに
なってしまっているのか、気づいています。
ところが、当の本人たちは、ゲームに没頭するあまり、
その理由が分からないでいるのです。
一歩引いて、その状況を観察する・・・
観戦する側になってみることが、
私にとっては、このエゴとの対話をするという方法だったのです。

今朝もプレマに、子供のことで嫌なことを言われました。
私の中でエゴが「傷ついたよお!なんで、あんな無神経なんだよお!」
と泣き始めました。私はプレマに「腹が立ったんだからね。」とだけ
伝えました。そしてその後エゴに話しかけてケアをしました。
するとプレマが、21日間のときも、上級コースのときも、
子どもと協力して、私の帰りを待っていてくれていた情景が浮かんで
きたのです。子供のことで、プレマが私に言ったことは、
正当なことだともちろん気付いていました。
私は自分もこんな風にプレマ(夫)から、
気遣って欲しいと思っていたから、嫉妬をしたのです。
でも、それもエゴの仕業だとすぐ気付いたので、
私はエゴに「やさしくしてほしかったんだよね?」
と言いました。「うん。そうだよ。子供にはあんなにやさしいのにさ、
どうしていつも私にはやさしい言葉が出てこないのか、情けなかったんだよ。
子供をかばって、私を貶めるようなこと言うから・・・。」

私:「でも、今回は理不尽なことは言ってないよね?」
エゴ:「・・・そうだけど・・・でも、私を責めるような言い方することはないと思うのよ。」
私:「・・・そうだね。でも、もし、彼が子供をかわいがってくれる人じゃなかったら、
   もっとつらかったと思うよ。そんな状態で、『俺には、お前だけだから・・・。』って
   言われたら、嬉しかったかな?」
エゴ:「そんなの嫌だ!絶対許せない!」
私:「子供がかわいいでしょう?」
エゴ:「もちろんだよ。」
私:「それって、相手と共通した気持ちだよね?」
エゴ:「そうだよ。」
私:「相手がそこまで子供のこと考えてくれてるっていう思いは?」
エゴ:「そりゃあ、嬉しいよ。でも、私を否定してるじゃん!?」
私:「間違ってないかな?それは、あなたを否定したんでなくて、
   今回の対応は改めた方がいいよ・・・ってだけなのでは?」
エゴ:「・・・・」
その問答の後、仕事をしつつ、慣れない家事をこなしながら、
子供の送り迎えをして、一生懸命私不在の日々を過ごしてくれた、
夫と子供の姿がビジョン化されたのです。
その直後、私の怒りや嫉妬は消えていました。

これは1つの例だと思います。
みなさんなりに、納得のいきやすい方法をみつけられるといいだろうと思います。

「自分の姿は自分で見れない・・・だから他人がいる。」
それが私たちの人生の中で、共通の他者との一体感を思い出すための
目的であることは間違いないと思います。
そんな中で、まず、自分を「自分」という枠の外からみてみること・・・
エゴの存在を自分自身のすべてであると思いこまないために、
もう、他人の言動や感情、そして自分の葛藤に振り回されないために、
このゲームにまず気付くこと、そしてときには、
ゲームをしかけている存在とも対話をしてみることで、
必ず何か気付くこと、内側で何か変わることを体験できるかもしれません。

ぜひみなさんなりの、エゴとの向き合い方をみつけてみて下さい。
【2008/01/24 13:39】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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プレマ動物ナチュラル・ケア・クリニックのりえこ先生のブログです。

プロフィール

プレマリエ

Author:プレマリエ
ホリスティック(ナチュラル)・ケア主体の動物クリニックを、獣医師の夫と共に営んでいます。私は動物の心・魂からのメッセージを、ご家族にカウンセリングを交えてお伝えする、アニマル・コミュニケーターをしています。また、2005年に南インドで研修を受け、魂の前進・解放を促すエネルギー・ワーク「ワンネス・ディクシャ」のインストラクターになり、セミナーも開催しています。人と動物の種別を超えた絆、人や動物たちが本当に幸せになるために、魂的な前進をしていくために、私たちが、どのように生きていくことを自覚していけばよいのかなども、お話ししていきます。どうぞよろしくお願いします。

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